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原発発祥の地の村長が脱原発に転じた理由

マル激トーク・オン・ディマンド マル激トーク・オン・ディマンド (第593回)

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公開日 2012年08月25日

ゲスト

東海村村長

1943年茨城県生まれ。66年一橋大学社会学部卒業。同年常陽銀行入行。融資業務部副部長、ひたちなか支店長などを経て、97年東海村村長に初当選。現在4期目。元全国原子力発電所所在市町村協議会副会長。現・脱原発首長会議呼びかけ人。

司会

概要

 日本の原発発祥の地、茨城県東海村の村長が「原発は疫病神」と脱原発を声高に唱えている。日本で最も古くから原子力関連産業の恩恵を受け、村の予算の3分の1、雇用の3分の1を原子力産業から得ている東海村が、である。

 東海村の村上達也村長は、日本で唯一、脱原発を公言する原発立地自治体の長だ。政府に対して村内にある東海第二原発の廃炉を要求するほか、「脱原発をめざす首長会議」の呼びかけ人として、政府に対して脱原発政策の推進を強く求めている。

 しかし、村上氏の脱原発路線は福島第一原発の事故に始まったわけではなかった。村長就任2年が過ぎた1999年、村上氏はJCO臨界事故を経験した。2人の犠牲者と600人を超える被曝者を出すというこの事故の際、村上氏は政府や県からの命令を待たずに、原子力災害では初めて半径350m以内の住民を避難させた。中性子が飛び交う危機的な状況の前で、国や県の対応を待っていては手遅れになると判断したからだ。

 この事故以降、村上氏は原発、とりわけ原子力村のあり方に不信感を抱くようになっていったという。そして2011年3月11日の東日本大震災で、東海村の原発は間一髪で難を逃れた。震度6弱の地震により原子炉は自動停止したが、福島第一と同様に外部電源をすべて喪失し、炉心に水を送る水中ポンプ3台のうち1台が水没してしまった。2日後にようやく外部電源が復旧するまでは、いつ福島の二の舞になってもおかしくない危険な状態が続いたという。

 しかも、こうした危機的な状況は、地震から12日後の3月23日まで、村上村長へは報告されなかった。

 「報告を受けた時は東海村もあと少しで福島の二の舞になったと、背筋が凍る思いだった」と村長は当時を振り返る。村上氏が 「日本には原発を保有する資格も能力もない」との結論に到達した瞬間だった。

 村上氏はJCO事故の後、原発の安全神話や監督機関の機能不全など、今となっては言い古された感のある原子力村の問題点を繰り返し指摘してきた。しかし、何ら改善されることがないまま3.11が起き、その後の政府の対応を見ても、事故への対応や情報の公開、住民の保護など政府も原子力村も何も変わっていないことが明らかになったと村上氏は言う。

 しかし、東海村の脱原発の道のりは決して平坦ではない。先述の通り、村の財政や雇用の原発依存度は高い。また、東海第一原発の廃炉作業も、使用済み核燃料の行き場がないために、廃炉作業も中断を余儀なくされている。当初予定していた18年の期間も大幅に超える見通しだという。

 村上氏は、原発に依存しない村作りを進めると同時に、村内にある原子力の研究機関で脱原発のための研究を進め、脱原発自治体の新しい成功モデルを作りたいと抱負を語る。

 原発発祥の地の長ながら脱原発の実現に奔走する村上氏に、ジャーナリストの神保哲生と哲学者の萱野稔人が東海村の今とこれからを聞いた。

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