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2014年06月14日公開

ドイツ・エネルギー倫理委員会報告と日本の原発政策

マル激トーク・オン・ディマンド マル激トーク・オン・ディマンド (第687回)

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完全版視聴期間 2020年01月01日00時00分
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ゲスト

哲学者・東京大学名誉教授

1949年青森県生まれ。72年一橋大学経済学部卒業。75年上智大学大学院哲学研究科修士課程修了。78年旧西ドイツ・ミュンヘン大学留学。82年同大学博士号を所得。哲学博士。上智大学文学部助教授、東京大学教養学部助教授などを経て96年より東京大学大学院教授。2013年定年退任し現職。星槎大学教授を兼任。著書に『公共哲学からの応答: 3.11の衝撃の後で』、『社会とどうかかわるか』、訳書に『原子力時代の驕り―「後は野となれ山となれ」でメルトダウン』など。

著書

概要

 安倍政権が示した原子力規制委員会の人事が6月11日に国会で承認された。5人の原子力規制委員のうち2人の委員を任期切れに伴って交代させる人事だが、その一人田中知氏は一昨年まで原子力推進団体の理事として報酬を得ていたうえに、東京電力系の財団からも4年半にわたって報酬を受けていたという。元々2年前の原子力規制委員会の発足時にも委員の人事をめぐり利益相反が問題視されたが、原発再稼働を目指す安倍政権の下で原子力ムラ復権へ向けた動きがいよいよ露骨になってきている。

 原子力規制委員会は福島原発事故を受けて、原発の安全性を抜本的に見直す目的で新たに組織された国の機関だった。そしてそれは、原子力行政、とりわけその監視機能が原子力の利害当事者である原子力ムラによって則られた結果、あのような未曾有の大事故を未然に防ぐことができなかったという反省の上に立ったものだったはずだ。その規制委に再び原子力の利害当事者を登用するようなことは、そもそも規制委設置法の欠格条項に抵触する疑いがあるばかりか、日本の原子力政策の正当性を根底から揺るがすことは避けられない。

 なぜわれわれ日本人はあれだけの大事故を経験した後もなお、正当性を獲得するために必要となる適正な手続きを取ることができないのだろうか。

 ドイツの脱原発政策については、いろいろな評価があるかもしれない。日本とは条件が異なる面も多い。しかし、少なくとも福島原発事故後のエネルギー政策を決定するためにドイツが採用した「手続き」は日本とは雲泥の差があるもので、お手本にすべき点が多い。

 福島原発事故の後ドイツは技術面のみならず、倫理面からも原発の妥当性を有識者による公開の会議の場で徹底的に議論した上で、最後はメルケル首相の政治的決断によって2022年までの脱原発という決定を下した。中でもメルケル首相が設置した「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」はドイツのエネルギー政策に正当性を与える上でとても重要な役割を果たした。

 この委員会はドイツのエネルギー政策のあるべき形を倫理面から議論するために組織されたもので、哲学や倫理学の専門家の他、宗教家、社会学者、歴史学者、政治家などから構成されている。原子力の専門家やエネルギー業界の利害当事者は含まれていない。委員会は3・11後の2011年4月4日に設置され、5月28日に報告書を取りまとめている。

 その報告書は(1)原子力発電所の安全性が高くても事故は起こりうる。(2)事故が起きると他のどんなエネルギー源よりも危険である。(3)次の世代に廃棄物処理などを残すことは倫理的問題がある。(4)原子力より安全なエネルギー源が存在する。(5)地球温暖化問題もあるので化石燃料を代替として使うことは解決策ではない。(6)再エネ普及とエネルギー効率化政策で原子力を段階的にゼロにしていくことは将来の経済のためにも大きなチャンスとなる、と内容的には至極真っ当なものだが、そこで重要なのが、この委員会がエネルギー政策の決定に倫理的な検討を盛り込んだことにある。

 哲学者で公共倫理の観点から日本の原発問題に対して発言を続けてきた東京大学の山脇直司名誉教授は「当初、脱原発に関して揺らいでいたメルケル首相は、日本ほどのハイテク先進国で福島原発事故が起きたことを目の当たりにして、そのリスクの大きさを再認識した」と話す。報告書は「原子力エネルギーの利用やその終結、そして他のエネルギー生産による代替についての決定は、すべて社会における価値決定にもとづくものであり、これは技術的側面や経済的側面よりも先行する」としていることからも明らかなように、人間の健康や地球環境といった倫理的な価値を技術や経済よりもより優先して考慮されるべきリスクとして提示し、その上で技術や経済的なリスクを吟味して「包括的なリスク評価」の結果として上記のような結論に到達している。

 山脇氏は委員会では、原子力によるリスクは予想も計量も不可能で、技術的・経済的なメリットを考慮に入れたとしても、両者を比較衡量の上そのリスクを相対化することはできないという、いわゆる絶対的拒否が結論の背景にあると解説する。実際、委員会では、公聴会などを通じて原発関係者や科学者らの意見も考慮に入れた上で、最終的な結論に到達していることが見て取れる。

 一方、事故の当事国だった日本はどうか。端から原子力行政の利害当事者を排除できないまま発足した原子力規制委員会の人事は言うに及ばず、汚染水が漏れ続ける中での野田政権による冷温停止状態発言と事故収束宣言、そして安倍政権は臆面もなく原発輸出のトップセールスを続け、事故原因の検証すら不十分との指摘がある中で原発を日本の「ベースロード電源」と位置付けるエネルギー基本計画まで閣議決定してしまった。一体、日本ではどこでそのような結論を出せるだけの議論が行われたというのだろうか。

 これは昨今の集団的自衛権をめぐる議論にも言えることかもしれないが、残念ながら今の日本には重要な政策を決定する際に、倫理や宗教、歴史的な視点まで包含した「熟議」を行い、曲がりなりにも国民的なコンセンサスを得た上で政策を決定していく能力が決定的に欠落しているのではないか。

 山脇氏は日本に公共哲学が根付かない一因として、高等教育のあり方の問題を指摘する。哲学は大学では文学部の一専攻課程に過ぎず、それがすべての学問の前提や基礎をなす学問であるという認識が全く定着していない。経済も科学技術も政治も、それを議論したり研究するためには、その前提となる価値の議論が不可欠だが、日本では「公共」や「倫理」といった価値をすっ飛ばして学問的な知識だけが一人歩きをしているため、いざ原発事故のような有事が勃発しても、然るべき対応を議論する際に倫理的な視点を含めるだけの下地ができていないというのだ。

 2011年に出されたドイツの「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」報告書を参照しながら、倫理的な原子力エネルギーの評価やリスクの認知、比較衡量の考え方と倫理的な対立、公共哲学の役割と機能、倫理本来の在り方などについて、ゲストの山脇直司氏と共にジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

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