2015年12月26日
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恒例年末神保・宮台トークライブ
社会を回していくために今、必要なこと

マル激トーク・オン・ディマンド 第768回(2015年12月26日)

 2015年は日本の歴史上、どのような意味を持つことになるのだろうか。

 この年、マル激でも安保法制をはじめ、多くの問題を取り上げてきた。中には答えが簡単に見つからない難しい問題もあったが、大抵の問題は時間をかけて解き明かせば、なぜそのような問題が起きているのかや、どこに問題があり、何をすれば問題の解決が可能になるのかを理解することが可能なものが多かった。

 しかし、その一方で、すべての問題に共通したより大きな問題があることも、わかってきた。問題の所在やその原因、そして処方箋はわかっても、実際にそれを実現するための「経路」が一向に見えてこないのだ。

 今年最後となるマル激では、年末恒例となった新宿ロフト・プラスワンで行われたライブイベントの中で、この「経路」問題を考えた。

 第二次大戦後の世界は、戦争の荒廃から立ち直るためには政府が積極的な役割を果たさざるを得ない状況にあったため、財政面でも産業政策面でも政府主導による経済政策が実施され、それが西側諸国に目覚ましい経済発展をもたらした。戦争で国土が焼野原と化した日本も見事な復興を果たした。その過程で西側の先進国には「分厚い中間層」と呼ばれる、豊かな中流市民社会が形成された。

 「分厚い中間層」の存在は、民主主義が機能する上でも大きな役割を果たした。基本的な衣食住が満たされ、将来の不安からも解放された中間層は、民主主義を機能させることに熱心だった。民主主義こそが、自分たちの豊かさの原動力になっていることを知っていたからだ。

 しかし、それは長い人類の歴史の中では、特殊な時代でもあった。特殊な時代はいつまでも続かない。1970年代に入り、肥大化した政府を財政的に支えることが次第に困難になる中、1980年に米英で始まったレーガン・サッチャー政権による新自由主義が世界を覆うようになる。新自由主義への政策転換は財政出動を抑えた小さな政府と規制緩和、そして市場原理の導入が主眼だった。

 これまで分厚い中間層を守る役割を果たしてきた政府の公共支出や数々の規制が撤廃され、市場原理が導入された結果、一握りの富裕層が登場する中で、中間層の多くが貧困層へと転落した。社会は少数の富裕層と多数の貧困層に分断され、分厚く豊かな中間層は過去のものとなった。

 戦後の民主主義が機能する上での原動力だった分厚い中間層が失われた今、これまでと同じようなやり方でやっていたのでは、民主主義を機能させることは難しい。しかし、われわれの多くはなかなかそれに気づくことができなかった。

 アダム・スミスは、市場経済における神の見えざる手は、人々が道徳心による同感力を備えている場合に限って有効に機能すると説いた。これは裏を返せば人々が基本的な倫理観を取り戻さない限り、市場は正常に機能しないことを指摘していると解される。市場原理が機能するためには前提条件がある。それが未整備のままいたずらに市場原理が導入されれば、弊害が大きくなる。市場原理を導入する以上、前提条件が未整備なのであれば、人為的に整備されなければならない。

 民主主義においてもそれが有効に機能するためには前提条件がある。戦後の時代は、たまたま労せずしてその条件が整っていたため、人々は専ら民主主義を実践することに力を傾注することが許された。しかし、その前提条件が崩れた今、単に民主主義を要求するだけでは不十分だ。その前提条件の整備に力を注ぎ、そのための政策を求めていかなければならない。

 近年、顕著になってきた報道に対する政府の介入も、わかりやすい事例と言えるだろう。戦後、報道機関は労せずして言論の自由、報道の自由を享受することができた。日本国憲法とそれを支える分厚い中間層が、報道の自由は何があっても守らなければならないものと考えていたからだ。メディアにとってはその前提条件が自然に整っていた特殊な、そして恵まれた時代だった。

 ところが報道機関の多くはその「恵まれた時代」の上に胡坐をかくようになり、結果的に政治や経済権力との間の緊張感を失い、権力と癒着することを何とも思わなくなってしまった。大手報道機関のみに与えられた記者クラブや再販価格維持制度、クロスオーナーシップなどの特権は、メディア企業に空前の経済的繁栄をもたらしたが、それがここにきてメディアにとってのアキレス腱になっている。民主主義の防波堤の役割を果たしてきた中間層が解体され、権力が報道に対する牙をむき出しにしてきた時、当の報道機関側にそれを跳ね返すだけの抵抗力も気概も備わっていなかったことを、われわれは今、日夜目の当たりにしているのではないか。

 報道の自由が正常に機能するためには、平時からその備えをしておかなければならない。平時に政府とべったりの関係になっておいて、いざ政府が言論介入してきた時に慌てて文句を言っても、リバイアサンの力を跳ね返せるはずがない。これまで自動的にその防波堤になっていた分厚い中間層はもはや存在しないのだ。

 では、期せずしてこれまで分厚い中間層が果たしてきた民主主義の前提条件の整備機能を、今後われわれはどう代替していけばいいのか。どうすれば民主主義が本来の機能を回復し、問題を解決するための「経路」を見つけることができるようになるのか。恒例となった年末マル激ライブでは、民主主義を実現するための前提をいかに回復させるかについて、神保哲生と宮台真司が議論した。

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