末期症状を呈する自民党政治を日本の終わりにしないために
元経産官僚、政治経済アナリスト
1975年大阪府生まれ。99年大阪外国語大学外国語学部卒業。2004年京都大学大学院博士課程修了。博士(地域研究)。北海道大学大学院准教授などを経て16年より現職。著書に『保守のヒント』、『リベラル保守宣言』、『親鸞と日本主義』など。
先の総選挙では選挙直前に民進党が分裂するなど野党陣営の足並みが乱れ、結果的に自公連立与党の大勝に終わった。
また、その分裂劇のさなかで、希望の党の小池百合子代表は分裂した旧民進党の「リベラル勢力」に対して明確な排除の意志を表明する一方で、リベラル勢力の受け皿として急ごしらえで結党された立憲民主党の枝野幸男代表は自らを「保守」と位置付けるなど、日本の政治で「リベラル」の行き場がなくなりつつあるような政治状況が続いている。
一方、世界に目を転じると、アメリカの大統領選や上下両院選挙で民主党に共和党が勝利するなど、先進諸国でナショナリスト勢力が躍進する中、いわゆる左派政党の衰退が目立っている。
リベラルの時代は終わったのか。
政治思想が専門で「リベラル保守宣言」などの著書のある東京工業大学の中島岳志教授は、リベラルにはまだ重要な役割があると指摘した上で、枝野氏が立憲民主党の結党記者会見で語った「リベラルと保守は対立概念ではない」という言葉に、今後のリベラルと保守の関係を示す重要なヒントが隠されていると指摘する。
日本では「リベラル」が革新や左派勢力を意味するように使われているが、枝野氏が指摘するようにそれは明らかな誤謬だと中島氏は言う。革新と呼ばれていた勢力が冷戦終了後に自らをリベラルと名乗るようになったために混同されがちだが、リベラルと左派は全く別物だ。
もともとリベラルは17世紀のカトリックとプロテスタントの激しい宗教戦争への反省から、徹底的に戦い合うことを避けるために、個人の思想や信仰の自由を保障する「自由主義」(リベラリズム)に起源があると中島氏は指摘する。そこからリベラリズムには、国家が個人に介入しないことを求める「消極的自由」と、個人の自由を保障するためには国家の一定の介入が必要と考える「積極的自由」の2つの流れが生まれ、現在に至る。リベラルはあくまで個人の自由を尊重する考え方なのだ。
その一方で、フランス革命を支えた啓蒙主義に対する批判としてエドモンド・バークらによって提唱された保守主義は、人間の理性や知性の限界を受け入れ、急進的な合理主義に対して懐疑的な立場を取る。歴史的に受け継がれてきた暗黙知を尊重することこそが、個人の自由が守られるとの立場を取るのが保守主義だ。
枝野氏が指摘するように保守とリベラルは対立する概念ではなく、リベラルが主張する積極的自由と消極的自由のバランスを重視するのが保守主義者の立場だと中島氏は語る。例えば、政治思想を示す座標軸に市場主義と再配分主義があるが、市場主義は消極的自由が前提にあり、再配分主義は積極的自由に基づく。そして、どちらの行き過ぎも警戒し、両者のバランスを重視するのが保守の立場ということになる。
元々日本ではリベラルと左翼や革新が混同されているため、そこは整理が必要だが、問題は本来の意味でもリベラルが世界的に危機に瀕していることだ。そしてその理由は、旧来の消極的自由と積極的自由のバランスだけでは、個人の自由を保障することが難しくなっているからだ。
しかし、「リベラル保守」を自認する中島氏は、リベラルにはまだ重要な役割が残っているし、その役割を果たすことが可能だと語る。
トランプ米大統領誕生に代表されるポスト・トゥルースが猛威を振るう21世紀の世界におけるリベラルの役割とは何なのか。自民党は保守政党なのか。日本におけるリベラルと保守の存在意義は何なのかなどについて、中島氏とジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。