ペット消費大国日本に住むわれわれが知っておかなければならないこと
WWFジャパン 野生生物グループ長&TRAFFICプログラムオフィサー
1952年東京都生まれ。75年青山学院大学英文学部卒業。97年トラ保護基金を設立。JWCS(野生生物保全論研究会)保護基金プロジェクト担当を経て、2009年認定NPO法人トラ・ゾウ保護基金を設立し、現職。著書に『野生動物のためのソーシャルディスタンス イリオモテヤマネコ、トラ、ゾウの保護活動に取り組むNPO』など。
4月15日は「イリオモテヤマネコの日」だ。
イリオモテヤマネコは1965年、今回の番組ゲストの戸川久美氏の父で動物作家の戸川幸夫氏らによってその存在が公にされた。世界的にも極めて珍しい新種のヤマネコとして学術的な注目を集めた当時から、すでに60年が経過している。
だが、その生息数は現在も約100頭前後にとどまり、絶滅危惧種の中でも最も危機度の高いランクに位置付けられたままだ。60年間、われわれは何をしてきたのか。この希少動物をきちんと守ってきたと言えるのか。それとも、ただ見てきただけなのか。まずはそこから考える必要がある。
イリオモテヤマネコは見た目は家猫と大きく変わらない。しかし耳の後ろに浮かぶ白い斑紋、そして獲物を見据える鋭い目つきには、飼い慣らされることを拒む野生が宿っている。
興味深いのはその食性の幅広さだ。ネズミだけではない。カニ、カエル、鳥類まで捕食する。西表島という限られた環境の中で生き延びてきた背景には、この「何でも食べる」したたかさがある。裏を返せば、島の生態系全体が健全でなければ、このヤマネコは生きていけないということだ。ヤマネコの存否は、そのまま島の自然環境の健全性を映す鏡なのだ。
イリオモテヤマネコの生息を脅かす最大の要因のひとつが、交通事故、いわゆるロードキルだ。
道路が整備され、観光客が増え、車両の通行量が増える。その帰結として毎年数頭のヤマネコが犠牲になる。これは偶発的な事故ではなく、開発と観光というシステムが生み出す当然の帰結だった。これは単なる「不幸な事故」では済まされない。
この問題に対して戸川氏らが長年取り組んできた「やまねこパトロール」は、夜間に低速走行を呼びかけ、路上の動物を排除するという地道な活動だ。華やかさはないが、その結果として車両速度の低下や事故件数の減少という具体的な成果が出ている。派手な政策やテクノロジーではなく、現場で人が動き続けることでしか解決できない問題がある。そのことをこの活動は示している。
もうひとつ見過ごせないのが外来種の問題だ。とりわけ野生化したヤギの増加は深刻だ。
ヤギは多種多様な植物を食べ尽くす。その結果、植生が破壊され、そこに依存していた昆虫や小動物が減り、最終的にヤマネコの餌が失われる。ヤギが直接ヤマネコを襲うわけではないが、食物連鎖の土台を崩すことで、生態系全体を静かに、しかし確実に蝕んでいく。
現在はモニタリングの段階にあるというが、こうした問題は「様子を見ている」うちに手遅れになるケースが少なくない。判断の遅れが取り返しのつかない結果を招くことは、環境問題の歴史が繰り返し証明している。
西表島を含む地域が世界自然遺産に登録されたことで、観光客の流入が加速した。エコツーリズムという名のもとに人が押し寄せる。しかし、ここに本質的な矛盾がある。
「自然を守るために知ってもらう」ことと、「知ってもらうために人を入れる」ことは同じではない。ナイトツアーの増加は野生動物の行動パターンを撹乱しかねず、無秩序な利用は保全の前提そのものを掘り崩す。
戸川氏の言葉は明快だ。「野生動物は人に慣れてはいけない。」
これは動物の問題ではない。人間の側の問題だ。野生動物を「見たい」「撮りたい」「触れたい」という欲望を、われわれ自身がどこまで制御できるのか。エコツーリズムの成否は、結局のところ、人間の成熟度にかかっている。
かつて西表島には「人かヤマネコか」という対立の構図が存在した。道路整備や生活向上を求める住民と、自然保護を訴える側とが正面から衝突した時代がある。しかし、この二項対立はいま少しずつ溶解しつつある。地域住民が主体となった保全活動が広がり、とりわけ子どもたちへの環境教育が地域全体の意識を変えつつあるという。「人もヤマネコも」という共存の思想が、外から押し付けられたものではなく、島の内側から育ちつつある。これは希望の持てる変化だ。
戸川氏は「野生の存在を理解し、そのままの姿を尊重することが大切だ」と訴える。
われわれはしばしば、野生動物を「かわいい」という感情で消費する。SNSで拡散し、グッズを買い、観光地で写真を撮る。それ自体が悪いわけではない。しかし、その感情が「生きる環境ごと守る」という行動につながらなければ、それは単なる消費でしかない。
100頭のヤマネコが暮らす島は、人と自然の関係を考えるうえで、極めて先鋭的なケーススタディだ。イリオモテヤマネコを守ることは、一種の保全にとどまらない。人間が野生とどう向き合い、どこまで自らの欲望を律することができるのか。その問いに対する、われわれ自身の答えが試されている。
今回のセーブアースでは、トラ・ゾウ保護基金理事長の戸川久美氏を迎え、この希少な野生動物の現状と、その保全が私たちに突きつけている本質的な問いについて、環境ジャーナリストの井田徹治、キャスターの新井麻希とともに議論した。