極右勢力に牛耳られたイスラエルはもはや誰も止められないのか
日本女子大学文学部教授
1969年長崎県生まれ。94年早稲田大学人間科学部卒業。同年NBC(長崎放送)入社、報道部記者を経て98年よりフリーに。アフガニスタン、エチオピア、チェチェンなど紛争地を取材。著書に『ロシア 語られない戦争 チェチェンゲリラ従軍記』。00年イスラム教に改宗。
今春アフガニスタン北部のクンドゥズ州で取材中に武装勢力に誘拐され、5か月間の拘束の後9月4日に解放されたジャーナリストの常岡浩介氏が6日、無事帰国した。
拘束中の生活について常岡氏は、彼を誘拐した武装勢力ヒズビ・イスラミの支配地域の民家に留め置かれ、粗食ながら毎日三度の食事は与えられ、手荒な扱いを受けることもなかったと語る。
当初、タリバンに拘束されているとの報道もあったが、常岡氏は今回彼を拘束した勢力が、武装勢力ヒズビ・イスラミの一派であることはまちがいないという。それは、拘束当初、彼ら自身がヒズビ・イスラミであることを全く隠そうとはしなかったからだ。しかし、4月18日に日本大使館と電話で話した際、常岡氏は武装勢力側から「自分はタリバンに拘束されていると言え」と命じられたという。常岡氏はその際、日本語で自分を拘束しているのがタリバンではないことは伝えたというが、それ以来、兵士たちは自分達はタリバンだと主張するようになったと言う。
常岡氏の見立てでは、今回の事件は、ヒズビ・イスラミの一勢力が、タリバンを名乗ることで日本政府から身代金を獲得する魂胆だったが、それがうまくいかなかったために、自分は釈放されたのだろうということだ。
常岡氏はまた、氏の誘拐事件を首謀したラティーフ司令官はカルザイ大統領の側近の一人であるワヒドゥッラー・サバーウーン氏と昵懇の関係にあることを指摘した上で、自らの身分を偽って外国人を誘拐し、身代金をせしめようとするこの事件を、カルザイ政権の腐敗の象徴的な意味を持つものと指摘する。
常岡氏によると、アメリカを後ろ盾とするカルザイ政権は、汚職の蔓延や治安維持の失敗などで統治能力を喪失しており、既にアフガニスタン全域の8〜9割はタリバンの支配下にあるという。首都のカブールでさえ、大統領府や中心部は辛うじてカルザイ軍が掌握しているが、数キロはずれると、そこは既にタリバンの支配地域になっているという。
実際に常岡氏自身も、拘束中いくつかの民家を転々をする中で、ヒズビ・イスラミの支配地域の住民の大半が、実際はタリバンを支持していることに驚いたという。その地域ではヒズビ・イスラミとタリバンは戦闘状態にあったからだ。
アフガニスタンの人々がタリバンを支持する最大の理由は、カルザイ政権が侵略者であるアメリカ軍と協力していることにあると常岡氏は言う。そして、タリバンこそが唯一、異教徒の侵略者であるアメリカ軍を撃退する力を持っていると思われていることが、アフガニスタンの人々の広範なタリバン支持の根底にあるというのだ。
無事生還したとはいえ、5ヶ月間も生死の境をさまようような経験をした常岡氏ではあるが、彼を拘束したヒズビ・イスラミもかなりいい加減な計画に基づいて誘拐を実行していたようだ。当初は身分を明かしておきながら、途中から急に自分達はタリバンだなどと言い出すあたりもやや滑稽だが、6月14日、「72時間以内に身代金を払わなければ殺害する」との最後通告を日本大使館に伝える電話の相手は、実際には日本大使館員ではなく毎日新聞の記者だった。要するに、最後通牒を伝える電話が、間違い電話になっていたということのようだ。
武装勢力側のドタバタぶりが最も顕著に表れたのが、常岡氏がまだ拘束中の9月3日に、ツイッターで「i am still alive, but in jail.here is archi in kunduz. in the jail of commander lativ.」と英語でつぶやいた「事件」だった。日本では、拘束されているはずの常岡氏がつぶやけるはずもないので、その真贋が論争になったりしたが、実際は常岡氏を監視している兵士が新型の携帯電話を入手したので、その兵士にツイッターの使い方を教えてあげるふりをして、常岡氏がツイートしたものだったという。ヒズビ・イスラミの兵士たちは、英語は「ABCも読めない」(常岡氏)し、そもそもツイッターが何であるかも理解していなかったので、人質の常岡氏が監視役の目の前で、世界に向けて重要な情報を発信していることが全くわからなかったそうだ。
アフガン情勢について常岡氏は、明らかにアフガン全土で人心を掌握しているタリバンが、アフガニスタンを支配することになるのは時間の問題であり、アメリカはタリバンには勝てないだろうという。
00年にイスラム教に改宗、5度目となるアフガン取材中拘束にあった常岡氏に、拘束生活とアフガニスタンの現状を聞いた。