1950年愛媛県生まれ。74年京都大学文学部哲学科卒業。76年京都大学大学院文学研究科博士課程中退、同年より同大学霊長類研究所心理研究部門助手。93年同研究所教授。2006年から12年同研究所所長。理学博士。著書に『想像するちから—チンパンジーが教えてくれた人間の心』、『人間とは何か—チンパンジー研究から見えてきたこと』など。
「今、目の前にあるものがすべて」のチンパンジーは決して絶望することがない。一方、脳のかなりの部分を見えないもののために使っている人間には、絶望もあるが希望もある。
「人とは何か」という古の昔よりわれわれ人類が問い続けてきた永遠のテーマに、遺伝子上、人間に一番近いとされるチンパンジー研究の第一人者が、深い洞察に満ちた仮説を提示している。
京都大学霊長類研究所でチンパンジーの思考や言語能力の研究を続けてきた松沢哲郎教授は、人間とチンパンジーの違いを知ることで、人間の意外な側面が見えてくると語る。人間に最も違いが人間ではないものを深く研究することで、人間ならではの特性がより鮮明に見えてくると言うのだ。
かつて松沢氏はチンパンジー「アイ」やその子ども「アユム」の実験を通じて、チンパンジーが人間を遙かに凌ぐ記憶力を持つことを示し、世界を驚かせた。しかし、松沢氏の研究はそこにとどまらない。
チンパンジーは人間の3分の1ほどしか脳の体積はないが、それでも「そこにあるもの」を認識し記憶する能力は人間を遙かに凌ぐと松沢氏はいう。例えば、アユムは一瞬しか表示されない7つの数字を瞬時に記憶することができる。数字を言い当てる正答率は、人間のそれよりも格段に高い。
ではチンパンジーの3倍もの脳を持つ人間は、その脳を何に使っているのだろうか。松沢氏はチンパンジーの認知が「そこにあるもの」、つまり今、目の前で見えているものに集中しているのに対し、人間は常にそこにないものまで認知しようとしていると言う。例えば、チンパンジーの顔の輪郭だけを描いた絵をチンパンジーと人間に渡した時、チンパンジーはそれを顔の輪郭とは認識できないため、クレヨンを渡すとその輪郭をなぞる行為を繰り返す。しかし人間は、その輪郭の中に元々見えていなかった目や鼻、口といったものを当たり前のように描くことができる。
松沢氏は、チンパンジーの認知スタイルが、目の前に見えているものがすべてと捉え、それを細かい点にいたるまで観察し記憶することに注がれているのに対し、人間は目の前にあるものの意味や背景といった「そこにはないもの」にまで注がれている点が、両者の大きな相違点ではないかとの仮説を立てる。
松沢氏は、あるチンパンジーが病気で寝たきり状態になった時、本来は動けなくなった自分の将来を絶望し、元気がなくなるかと思っていたところ、至って陽気に振る舞い続けていたという事例を紹介する。これはチンパンジーが自分の将来を悲観するという「そこにないもの」まで思いを巡らせることがないからではないかと松沢氏は言う。
あらゆる物事の意味や背景、他との関係性など「そこにないもの」にまで思いを馳せる能力を授かった人間は、実際には存在しないものについてもあれこれ思い悩む。だから後悔もするし絶望もする。しかし、これは人間がもう一つのそこにないものである「希望」を持つ能力を持っていることも意味するのではないかというのが、松沢氏の説だ。
自然界で生き延びるために、今ここにあるものを鋭く見極める能力が必要だったチンパンジーと、社会で生き抜くために今そこにないものまで想像する能力を授かった人間。人間は想像するからこそ絶望もし、だからこそ希望を持つこともできる。しかし、絶望があるから希望があり、絶望のないところには希望も生まれない。そのような大切なことを、チンパンジーが教えてくれているのではないかと、松沢氏は言う。
500万年前、チンパンジー属とヒト属に分かれてから、それぞれが独自に進化の道のりを歩み、その過程で生まれた両者の違いから改めて浮かび上がる「人間とは何か」という問い。人間について知りたいと考え哲学を専攻したものの、導かれるようにしてチンパンジー研究にたどり着いたと話す松沢哲郎氏に、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が聞いた。