「イスラム国」の通貨発行をどう見るか
清泉女子大学准教授
1975年東京都生まれ。99年慶應義塾大学総合政策学部卒業。2006年慶應義塾大学政策・メディア研究科博士課程修了。シリア国立アレッポ大学学術交流日本センター主幹、名古屋商科大学准教授などを経て13年4月より現職。慶応義塾大学SFC研究所上席所員を兼務。 著書に『アラブ諸国の情報統制 インターネット・コントロールの政治学』。共著に『サイバーポリティクス IT社会の政治学』、『かわりゆく国家』など。
エジプトの反政府デモは、治安部隊が武力鎮圧に出たことで、死者の数が700人とも900人とも言われる最悪の事態となってしまった。アラブの春で一度は民主的な政権の樹立に成功したはずのエジプトが、なぜこのような事態に陥ってしまったのか。
2010年にチュニジア「ジャスミン革命」に端を発した「アラブの春」は、ほどなくエジプトに波及し、2011年2月に30年続いたムバラク大統領による独裁政権が崩壊した。民主的な選挙でモルシ政権が樹立されたが、好転しない暮らしぶりに不満を募らせた一部の市民が反政府デモに起ち上がり、軍部が7月3日に憲法を停止しモルシ大統領を解任。これに反発したモルシ支持派が抗議デモ、治安部隊と衝突を繰り返している。
エジプト国民の不満はどこにあるのか。中東情勢に詳しい国際政治学者の山本達也氏は、石油資源の枯渇によって原油輸出が減少したために、国民の生活を支えていた政府援助が途絶えてしまったことが大きな要因だと指摘する。エジプトは原油輸出で得た外貨を貧困層向けの食料補助金に回していた。これによって人々の生活は維持されていたのだが、原油生産がピークを過ぎて減少に転じたことに加えて、人口が急増して国内消費が増加した結果、原油の輸出が困難になり、福祉政策に充当する外貨が不足して民衆の生活が困窮してきたという。つまり生活の不安定化が騒乱の根底にあるというのだ。そしてこうした背景の上に、アラブ社会、イスラム世界、アフリカの事情が絡み合っているのが実相だと解説する。
さらに山本氏は今回のエジプトの騒乱に「近代国家が今後直面するであろう問題」を見い出す。エジプトでは政権に対する長年の不満がフェイスブックなどのSNSを動員のツールとして噴き出し、抗議デモによって政権を追い落とすことに成功した。市民が不満を表明すれば政治を変えられるという成功体験の味を覚えてしまったのだ。しかし、これは近代国家システムを支えている代議制の否定であり、引いては民主主義の否定をも意味する。
一方で、エジプトでは市民の不満の元となっている経済情勢が、好転する見通しが立たない。特に、エジプトは僅かなコストで大量の石油を採掘できた時代が終わり、今後原油輸出からの収入が期待できなくなった上に、近年の騒乱によって第二の収入の柱だった観光収入も激減している。これではどんな政権ができても、たちまち市民の不安が爆発し、デモを繰り返すことになりかねないと山本氏は言う。
しかし、このジレンマはエジプトに限ったことではない。低いエネルギーコストを前提に構築されている現在の世界の秩序の中にあって、エネルギーコストの上昇は先進国にとっても成長の大きな足枷となる。一方で、先進国においてもSNSなどの普及で、市民が政府に対する批判や不満の表明を容易に行えるようになった。このような状況の下で、既存の近代国家の様々なシステムを今後も維持していけるかどうかが問われるのはエジプトばかりでなく、日本を含む他の国々も同じだと山本氏は分析する。
古代文明発祥の地でもあるエジプトの現在の騒乱の意味するところは何なのか。既存の民主的統治システムは低成長とSNSが合わさった今の時代に、有効な政治を行うことが可能なのか。エジプトの騒乱から見えてくる問題についてゲストの山本達也氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。