なぜか「高規格」救急車事業が食い物にされるおかしすぎるからくり
株式会社「赤尾」特需部救急担当
完全版視聴期間 |
2020年01月01日00時00分 (期限はありません) |
---|
5週目の金曜日に特別企画を無料でお届けする恒例の5金スペシャル。マル激は2001年2月16日の第1回放送以来、間もなく第800回の放送を迎えるにあたり、7月24日に東京・渋谷のロフト9でトークイベントを開催した。今回の5金は、このイベントの模様をお送りする。
マル激がスタートした2001年2月、日本は自民党の森喜朗政権。首相の度重なる問題発言や失政で内閣の支持率が一桁台に落ちる中、記念すべき第1回放送でマル激は、青少年社会環境対策基本法を通じた政府による表現規制と記者クラブに代表されるメディアの構造問題を中心に議論をしている。
第1回放送の2001年2月16日から米・同時テロがあった2001年9月11日までの間、マル激は27回の番組を放送しているが、そこでは、手を変え品を変え繰り出される政府による表現規制の企てや、記者クラブに代表されるメディアの構造問題、小泉政権の発足による政治保守から経済保守への権力の移行、靖国参拝問題と歴史修正主義、狂牛病に代表される地球環境と食の安全問題などが議論されていた。その多くは、依然として今も解決されていない。
ところが2001年9月の同時テロによって、世界の流れが大きく変わった。それがマル激の番組のラインナップからもはっきりと見て取れる。
同時テロとその後に始まったアメリカによる「テロとの戦い」の名のもとに行われた報復戦争によって、それまでマル激が扱おうとしていた世界や日本が抱えていた問題の多くが、一旦は優先順位が下げられ、水面下に潜ってしまい、テロや安全といった目先の問題への対応が優先されることになった。同時に日本は、憲法上の制約と対テロ戦争における自衛隊の担うべき役割についての終わりなき論争に明け暮れることになる。
第800回放送を迎えるにあたり、改めて今日の日本や世界を俯瞰した時、マル激が2001年の第1回放送から2001年9月の第27回放送までの間に議論したテーマが、何一つとして解決していないことには驚きを禁じ得ない。同時テロはそれまで日本や世界が抱えていた問題に一旦蓋をしてしまった。そして、今、それから15年が過ぎ、テロがややもすると常態化するようになった今、改めて世界を再点検してみると、そもそもテロを生む遠因にもなっていた世界の諸問題が、実は何一つとして解決できていなかったことが明らかになる。
問題は問題として直視し、解決していくしかない。しかし、15年にわたるテロとの戦いによって疲弊した世界の市民社会は、もはや15年前の状況とは大きく異なっている。その間、格差は拡大し、中間層は解体され、メディアの堕落は進行するなど、社会全体が大きく劣化してしまった。市民社会は問題に対峙するための多くのツールを失っている。15年前のようにナイーブに一つ一つの問題に真正面から取り組むだけでは、おおよそ問題の解決は望めそうにない。
実際、市民社会は何度となく問題を解決すべく努力はしてきた。しかし、そのたびに徒労感だけが残った。努力すればするほど、問題の解決が容易でないことをより痛感させられる経験を経て、市民社会全体がやや諦めの境地に入っていることも否めない。
しかし、ここで「何でもあり」のモードに身を委ねてしまえば、世界は堕ちるところまで堕ちることになる。
15年前われわれはまだ、理想的な世界の実現を夢見ていた。いくつか問題はあるが、努力をすれば問題は解決できるし、そうすれば世界は理想的とまでは言わないまでも、素晴らしいものにできると考えていた。
その考え方自体が間違っていたわけではない。しかし、世界は理想とは程遠い状態にあり、それは実は15年前も同じだった。社会が内包している様々な問題が可視化されていなかっただけだった。
同時テロ以降の15年間で、社会はメッキが剥がれ、元々内包されていながらそれまで可視化されていなかった問題が一気に噴き出した。
もはや、「あの素晴らしい世界をもう一度」などというスローガンは通用しそうにない。いつかは争いも貧困もない完璧な世界が実現するなどという幻想は早く捨てた方がいいのかもしれない。しかし、そんな「クソのような世界」が、これまで何とか回っていたのは、市民一人ひとりの不断の努力の賜物だった。「クソのような」と「クソ」には大きな違いがある。その努力をやめた時、世界は本当に「クソ」になってしまう。
20世紀の人類の発展を支えた民主主義と資本主義、そしてそこから派生した様々な思想や法制度、社会制度などのセーフティネットやツールが、今大きな岐路に差し掛かっていることはまちがいない。これまでのような20世紀の幻想を前提とする発想では到底解決できない困難な選択が、われわれを待ち受けている。しかし、それはわれわれのこれまでの理想が間違っていたのではなく、いよいよその真価が問われる局面を迎えているということではないか。
今回、800回という節目を迎えるにあたり、東京・渋谷のLOFT9 Shibuyaの新規開店に合わせて行われたトークライブでは、15年前の第1回の放送から、何が変わり何が変わっていないのかを検証した上で、なぜ今、われわれの当初の問題意識の再確認が重要な意味を持つのかを、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。