なぜか「高規格」救急車事業が食い物にされるおかしすぎるからくり
株式会社「赤尾」特需部救急担当
1967年東京都生まれ。94年ヒューストン大学中退。90年よりフリージャーナリストとして活動。popIn社、MODIPHI社、キャスタリア社などのアドバイザーを兼務。著書に『iPadショック』、『スティーブ・ジョブズ成功を導く言葉』、共著に『アップルVSグーグル』など。
「革命的な製品がすべての様相を一変させる」。
iPhoneを発表した際、米Apple社の共同創業者で最高経営責任者のスティーブ・ジョブズ氏はこう述べた。マッキントッシュ・コンピュータ、iPod、iPhoneそしてiPadと、いくつもの心躍る製品を世に送り出し、新しいライフスタイルをも作りだしてきたジョブズ氏が1月、病気療養のため休養に入ると発表したことが、大きな話題になっている。
ジョブズ氏はAppleの共同創業者でありながら、その会社を一度追い出されている。しかしその後、業績不振でつぶれかかっていたAppleに復帰し、株式時価総額で世界第2位の会社へと成長させた。また、CGを駆使した新しいアニメ映画「トイ・ストーリー」を作ったのも、ジョブズ氏の会社だ。われわれの心をとらえる新しい製品を生み出し続けるスティーブ・ジョブズとは、一体何者なのか。
Apple取材歴20年のITジャーナリスト林信行氏は、ジョブズ氏はただ製品を作りだすだけではなく、「新しい文化を作った」人物であると評する。ジョブズ氏の最初の成功は、70年代まで遡る。当初、パソコンを使用できるのは、コンピュータ言語を理解する一部の専門家に限られていた。そのパソコンにマウスを付け、アイコンに絵を使い、誰もが使える現在のパソコンの原型を作ったのが、ジョブズ氏だった。
ウインドウズ陣営に押され低迷していたAppleのカムバックは、98年、カラフルでデザイン性の高いパソコン「iMac」の発表から始まった。「Think different.」という広告を打ち、ジョブズ氏が「妥協せず美しいもの」を作ったことが、「どれを買っても同じ」だと考えるわれわれの心をとらえたのではないかと林氏は分析する。
Appleは、音楽業界のあり方も変えた。iTunesストアはレコード、CDに代わり、音楽をダウンロードして聞くことが、いまやライフスタイルの一部となった。そして、Apple創業30周年となる07年にiPhoneを発表した際、ジョブズ氏は「電話を再発明した」と述べた。
林氏は、iPhoneやiPadは使う人によって機能が変わる、「鏡のような存在」だと話す。無駄なボタンや機能を削ぎ落し、性別、年代を問わず使うことができる。シンプルかつエレガントで、使う人が主役になる製品。ジョブズ氏率いるAppleは、常に真剣勝負で、議論をし尽くすことでイノベーティブな製品を作り続けることができたと林氏は言う。
すい臓がんの手術を受けた翌年の05年、ジョブズ氏はスタンフォード大学でスピーチを行い、大学を中退してから受けた授業で学んだカリグラフィーがマッキントッシュの美しいフォントを生むきっかけになったと話した。また、Appleをクビになったことは人生で最良の出来事だったと話した。一見無関係なことや寄り道を繰り返したことが、自分たちにしか作れないコンピュータを作りだすことになったというジョブズ氏は、自らのスピーチを「Stay hungry, Stay foolish(ハングリーであれ、バカであれ)」という言葉で締めくくっている。
これを日本の企業に置き換えて考えてみると、パソコンメーカーが突如音楽業界に進出し、さらには携帯電話メーカーになるということは、およそ考えられない。大成功を収めても、ハングリーかつバカなままで、人々を魅了してやまない新しい文化を生み出し続けるジョブズ氏から、われわれは何を学ぶのか。
Apple取材の第一人者である林氏と、武田徹、宮台真司が語り合った。