2018年4月7日
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公文書隠して国滅びる

瀬畑源氏(長野県短期大学准教授)
マル激トーク・オン・ディマンド 第887回(2018年4月7日)

 森友学園問題や加計学園問題は大きな政治問題となり、安倍政権の支持率の急落をもたらすなど、今後の政局に大きな影響を与えている。憲法改正の発議だの安倍3選だのといった、一度は既定路線のように語られていた政治日程は、根本から見直しを強いられているといっていいだろう。

 しかし、これが、権力がいかに行使されたかを検証するための公文書がきちんと保存されていなかったという国家の根幹にかかわる大問題であり、例えば安倍政権が退陣すればいいというような一政権だけの問題ではないことは、いま一度確認が必要だろう。

 言うまでも無く日本は民主国家であり、国民が主権者だ。その国民が選挙を通じて政治に政府の運営を負託し、国民から政府を運営するための権限(権力)を負託された政治は、きちんと官僚をコントロールして正しく政府を運営する責任を国民に対して負っている。

 政府がどのように運営され、その過程で国民が政治に負託した権力がどのように行使されたかが、後世にも検証可能な形で記録されているのが、他でもない公文書だ。国民は公文書だけが、政府が正統に運営され、権力が正しく行使されているかどうかを確認するための手段となる。

 今回はたまたま、森友学園という大阪の学校法人に対して小学校設立のための国有地の払い下げの過程で、通常では考えにくい値引きが行われていたことが明らかになり、特に首相夫人がその学校の名誉校長を務めていたことなどから、不当な政治権力が行使された疑いが持たれることになった。

 本来であれば、この疑惑を晴らすのはいたって簡単なことのはずだった。国有地払い下げの過程でどのような交渉が行われ、誰がどのような理由で8億円もの値引きを決裁したのかを説明する公文書がきちんと保存されていれば、それを参照すればいいだけの話だったのだ。

 ところが、単に一学校法人に対する国有地の払い下げが正当なものだったことを裏付ける公文書が、一向に出てこなかったのだ。当然、疑惑は深まる。国会での野党の追及も厳しくなる。また、そうこうしている間に、本来は存在しないはずの文書が、リークなどによってボロボロと出てくる。その過程で野党の追及に辟易とした首相が、「自分や妻が関わっていれば総理も議員も辞める」などと言い放ってしまったから、さあ大変。払い下げの当事者となった財務省は、ついに決裁文書の改竄という、最悪の禁じ手にまで手を染めることになってしまった。

 今回は問題が表面化してからの政府の対応があまりにも杜撰で、話がどんどん膨らんでいってしまったために、そもそもどこに問題があったのかが見えにくくなってしまった。公文書が改竄されるに至っては、改竄の事実の方が問題の中心になってしまった感さえある。そもそもこれはどういう問題で、どこに本質的な問題があるのかをしっかりと押さえておかないと、今後も国会の政治劇やメディアのニュース娯楽劇に翻弄されてしまいかねない。

 日本は2011年4月1日から施行されている公文書管理法という立派な法律がある。まだまだ細かい点で改善を必要としているが、「行政機関の職員が職務上作成し、組織的に用いられている文書はすべて公文書として保存されなければならないようになっている。また、日本には2001年に施行された情報公開法という立派な法律もある。それらがしっかりと守られていれば、国有地の払い下げや学校の認可のような癒着や腐敗が起きやすい意思決定は、すべて記録が保存されていなければおかしい。

 公文書問題に詳しい長野県短期大学の瀬畑源准教授は、政府内では公文書管理法が骨抜きにされていると言う。なぜならば、各省が独自に公文書管理のガイドラインを勝手に設け、法律の条文を恣意的に狭く解釈するなどによって、無数の抜け穴を作っているからだ。

 例えば森友学園への国有地の払い下げの場合、財務省は「引受決議書」や「売払決議書」は30年の保存期間を定めている。しかし、それはあくまで最終的な決定文書だけが対象で、そこに至る交渉過程などは「歴史的に重要ではない」との理由から、原則1年未満で処分することが、財務省自身が作成した細則で定められているのだ。

 これは、国有地の売却問題では政治家の口利きが日常的に行われていて、財務省はガイドラインや細則といった自ら決定したルールに則りながら、不適切な払い下げの証拠抹殺をルーティンワークにしていた可能性の存在を示唆していると瀬畑氏は指摘する。このような杜撰で恣意的な公文書管理体制の下では、森友学園問題は巨大な氷山の一角だった可能性が高いのだ。

 公文書は単に不正が行われていないことを確認するためだけにあるのではない。ある時点での政策決定や権力行使の過程を、歴史上のできごととして後世に検証したり研究するためには、公文書が正しく保存されていることが必須だ。恣意的な判断で公文書が廃棄されている現状のままでは、日本の歴史にぽっかりと大きな穴が開いてしまったも同然だ。

 日本は数々の疑獄事件や官僚の不祥事などを経る中で、「政治改革」の名の下に、政府、とりわけ首相への権力の集中を進めてきた。小選挙区制や政党助成金、内閣人事局制度などは、いずれも首相に権力を集中させることを目的としていた。そうして自民党の派閥や大ボス、族議員、官僚の影響力を削ぐことで、首相がリーダーシップを発揮しやすい環境を作り、激動する世界情勢によりスピーディーに対応することが可能になる、という話だった。

 確かに権力の集中は行われたが、どうやらわれわれは集中した権力をチェックする機能を強化する作業を怠ってきたようだ。肥大化した権力は、官僚の中の官僚と言われ、エリートの名を欲しいままにしてきたあの財務省が、首相を守るためには公文書の改竄などという犯罪行為に手を染めることさえ厭わないほど、強く怖い存在になっていた。

 肥大化した権力に対するチェック機能を回復させるためには、まず一丁目一番地として、厳格な公文書管理と情報公開が不可欠だ。それが各省の内規によって簡単に抜け穴が作られたり歪められ、官僚が公文書管理法や情報公開法に違反をしても罰則がないというような現状では、真っ当なチェック機能が働くわけがないではないか。

 政治の質が低いと公文書管理や情報公開が杜撰になるというが、本来その話は逆だ。罰則を厳しくしたり外部監査を導入するなどして、政府が公文書管理や情報公開を徹底せざるを得ない状況を作れば、政府はそれに見合ったレベルの政治を行わざるを得なくなる。

 「大山鳴動して政権一つが倒れる」だけでは、何の解決にもならない。今こそ、問題の根っこにある公文書管理の問題点を再検証すべく、日本で数少ない公文書の専門家の瀬畑氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

 
瀬畑 源(せばた はじめ)
長野県短期大学多文化コミュニケーション学科准教授
1976年東京都生まれ。2000年一橋大学社会学部卒業。02年同大学院社会学研究科修士課程修了。10年同大学院社会学研究科博士課程修了。都留文科大学非常勤講師、一橋大学大学院特任講師などを経て14年より現職。社会学博士。専門は日本近現代史、象徴天皇制。著書に『公文書をつかう 公文書管理制度と歴史研究』、『公文書問題 日本の「闇」の核心』など。

 

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