旧優生保護法のもとで行われた強制不妊手術をめぐり、行政が持つ個人情報の公開のあり方が問われる事態となっている。
情報公開制度は誰が請求者であっても同じ条件で情報が開示されることが前提となっているが、旧優生保護法下での強制不妊手術のように高度に機微に触れる個人情報をどう扱うかについては、情報公開制度だけではカバーしきれないところがあるからだ。
京都新聞の記者が2017年、滋賀県に対し、強制不妊手術に関する文書を情報公開請求した。県は大半を不開示とし、審議会が開示範囲の拡大を答申した後も、県がその決定に従わなかったため、記者は2020年に提訴に踏み切った。大阪高裁は2024年、一定の範囲で開示を認めつつも、極めて秘匿性の高い個人情報については非開示とする地裁判決を支持、2025年2月に最高裁が双方の上告を不受理としたことで、高裁判決が確定判決となった。
この訴訟では情報公開制度の根幹にある原則が問われる。情報公開法は「請求者や請求目的にかかわらず、同一の情報を開示する」ことを建前とする。行政が恣意的に「この人には見せるが、この人には見せない」と判断することを防ぐための仕組みであり、いわばユニバーサルな制度である。
しかし、この原則はときに深刻なジレンマを生む。今回のように、強制不妊手術に関する記録には、出生歴、病歴、知能の程度、家族の状況、さらには異性関係など、極めて機微性の高い個人情報が含まれる。仮に氏名を伏せたとしても、それを公にすること自体が人格的利益を侵害する可能性がある。そしてその機微性を理由に公開が行われないとすれば、それは強制的に不妊手術を受けさせられた被害者が開示請求をしても同じ結果となることを意味している。
また、こうした情報の開示は、国家による重大な人権侵害の実態を解明し、再発防止や被害者救済を進めるためにも不可欠だ。実際、旧優生保護法問題では、被害者自身が長年声を上げられず、記録の存在すら確認できないケースも多かった。報道機関による情報公開請求が、社会的関心を喚起し、それが救済制度の創設につながった。
問題は、被害者本人の「自分の情報を知る権利」と、社会全体の「知る権利」をどう両立させるかにある。本来、本人開示請求は、自らに関する情報を取得するための制度として位置づけられている。しかし情報公開制度は、あくまで「誰に対しても同じ情報を開示する」仕組みであり、本人にだけ特別に開示するという運用は想定されていない。
その結果、「本人にだけは見せたいが、誰にでも見せることになるなら出せない」という逆説的な状況が生まれる。実際、強制不妊手術の記録をめぐっては、本人であっても開示が認められないケースが出てきている。
滋賀県の事案では県の情報公開制度審議会が、公益性を重視し、個人が特定されない限り広範な開示を認めるべきだとする決定を下したが、その一方で、裁判所は、たとえ特定されなくても人格に深く関わる情報は保護されるべきだとして、開示範囲を限定した。ここには、公益とプライバシーのどちらをより重く見るかという価値判断の違いが明確に表れている。
この番組の司会で情報公開クリアリングハウス理事長の三木由希子氏は、この問題の核心として、「情報公開は常に“誰のための制度か”を問い返す必要がある」と指摘する。社会的関心の高さを理由に被害者のプライバシーを制約することは、人権侵害を受けた人の権利をさらに損なう危険性をはらむ。一方で、開示がなければ、歴史的事実の検証も再発防止も進まない。
強制不妊手術という極めて特殊で深刻な人権侵害を前に、情報公開制度の「誰にでも同じ情報を」という原則は、その強みであると同時に限界も露呈した。被害者の尊厳を守りながら、社会の知る権利をいかに担保するのかを情報公開クリアリングハウスの三木由希子とジャーナリストの神保哲生が議論した。