自らを経済再生内閣などと呼んでいたはずの安倍政権が、参院選に勝利するや否や、一気に何でもあり政権の素性を露呈し始めた。昨年12月に安倍政権が発足した時、今年7月の参院選まではアベノミクスなどの経済政策重視の仮面を被り、その本性を現すのは参院選後になるだろうと予想されてはいたが、早速、選挙公約にも所信表明演説にも含まれていなかった特定秘密保護法案を突如提出したかと思うと、その可決をごり押しするなど、悲観的な予想がまさに最悪な形で的中してしまった。
一方、安倍政権の下では、生活保護法の改正や国土強靱化基本法など、アベノミクスや特定秘密保護法の喧噪にまみれて、日本の国のカタチを変えるほど重大な法律や制度が、ほとんど議論もされないまま幾つも成立している。
その一例が生活保護法の改正だ。今や日本はアメリカと並んで先進国の中で最も貧困率が高い国の一つになっている。にもかかわらず、日本は公的な生活支援を受ける上でのハードルが最も高い国でもある。ピューリサーチの国際意識調査でも、貧困世帯を政府が助ける必要があると答えた人の割合は日本が世界で群を抜いて低かったが、実際に今日本で起きていることはそれを裏付けてしまっている。そして、公的支援の中でも最後の命綱と呼ぶべき生活保護受給のハードルを更に上げるような法改正が、さしたる議論もないまま行われ、メディアもその意味を熱心に説明しようとしない。主権者たる国民不在のまま、日本という国のカタチが変わってしまっているのだ。
確かに自公政権は正当な選挙で政権の座についているが、昨年の衆院選も今年の参院選もいずれも実際に両党が獲得した票数は野党の得票総数よりも少なく、過半数を割っている。いずれの選挙も投票率が6割未満だったことと併せて考えると、現政権に投票した人の数は全体の4分の1に過ぎない。要するに、野党が分裂しているがために、4分の1の得票で過半数の議席を得ているに過ぎないのだ。そのような政治勢力が日本という国のカタチを変えてしまうような重大な決定を次々と下していることになる。
ところが市民社会はそのような悲惨な状況を目の当たりにしながら、それを一向に変えることができない。野党は相変わらず内部分裂を繰り返す体たらくだし、メディアも有効な手立てが打てていない。
アベノミクスで日銀が円をジャブジャブ刷ってくれたおかげで、一部で景気のいい話も出てきているようだが、この生きづらさはそう簡単には変わりそうもない。
今年の年末恒例マル激ライブは、そんな生きづらい時代を生き抜くためのキーワードとして、コミュニティと行動の内発化をテーマに議論をしてみた。アベちゃんや2倍返しといった感情の政治に負けないようにするために、自分の価値基準が正しいことを確認できるホームベースを大事にすることと、見返りや打算抜きで行動をとってみることの意味などを、神保哲生と宮台真司が議論した。