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2021年03月20日公開

何が日本のエリート官僚をここまで劣化させたのか

マル激トーク・オン・ディマンド マル激トーク・オン・ディマンド (第1041回)

完全版視聴について

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完全版視聴期間 2021年06月20日23時59分
(終了しました)

ゲスト

東京大学先端科学技術研究センター教授
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1967年愛知県生まれ。90年東京大学法学部卒業。東京大学助手、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス客員研究員、東北大学大学院法学研究科教授等を経て、2013年より現職。博士(学術)。専門は行政学、日本政治史。著書に『崩れる政治を立て直す』、『安倍一強の謎』、 『内閣政治と大蔵省支配』など。

著書

概要

 かつて日本は、政治は二流でも中央官僚が飛び抜けて優秀だから持っていると言われた時代が長らくあった。実際、霞ヶ関の高級官僚の枢要なポストは大半を東大法学部卒のスーパーエリート官僚が占めてきたし、それは今も大きくは変わっていない。

 しかし、昨今の国会などを見るにつけ、その超エリート官僚たちが、耳を塞ぎたくなるような恥ずべき答弁を真顔で繰り返している。その厚顔無恥ぶりからは、焼け野原から世界有数の経済大国に至る戦後の日本を率いてきたエリート官僚の矜持や面影といったものは微塵も感じられない。

 それが強く印象付けられたのは、安倍政権下で表面化した「モリ・カケ・サクラ」(森友・加計学園、桜を見る会)問題をめぐり、各省の高級官僚たちが政権を守るために公文書の破棄や隠蔽、虚偽答弁などを平然と繰り返す様を見せつけられた時だった。野党から公開を求められたその日に関係者総出で関連証拠を一斉にシュレッダーにかけた上で、国会の場でその文書はルールに則り適切に処理したなどという嘘を平然とつく幹部官僚もいた。

 しかし、菅政権下で広がり続ける総務省の接待スキャンダルでは、官僚たちは当たり前のように「記憶にございません」などという答弁をと繰り返すまでになっている。これを劣化と呼ばずして何と呼ぼうか。そもそも「記憶にございません」は、ロッキード事件の真相究明を図るための国会の証人喚問において、宣誓下で虚偽答弁をすれば議院証言法違反に問われることを恐れた国際興業の小佐野賢治社主が連発したことで有名になった、いわば歴史的迷言だが、少なくとも当時それは、ロッキード事件のような戦後史に残る大疑獄事件で、当時児玉誉士夫氏と並んで天下の政商とまで呼ばれた小佐野氏のような曰く付きの人物が初めて口にすることが許される台詞であって、今回のような衛星放送事業者から事前に報告を受けていたかどうかというような、役所が日々の業務を遂行する上で発生した不都合な事実を隠蔽するために、課長クラスの役人が国会という言論の府で平然と口にしていいような台詞ではなかったはずだ。

 日本は古くはロッキード事件、そしてリクルート事件佐川急便事件などの数々の「政治とカネ」をめぐる疑獄事件を経て、1993年以降約四半世紀をかけて、いわゆる「政治改革」と呼ばれる制度改革を行ってきた。その一連の「改革」により、小選挙区制や政党交付金の導入、政治資金規正法の強化などが図られ、政治家個々人の力は意図的に党へと集約されていった。また、その後に起きた大蔵省ノーパン・シャブシャブ・スキャンダルなどで中央官僚の専横が問題視されるたことを引き金に省庁再編が推進され、その度に首相官邸への権力の集中が進められてきた。そこでは常に、個々の政治家、とりわけ大ボスが利権団体や企業から広くカネを集めて他の議員にばらまくことで自らの派閥や支持基盤を拡げていく従来型の利権政治を終わらせ、党と首相に権限を集中させることで、より政策中心の政治が実現し、意思決定のスピードも早まるといった考えが強調されてきた。そして2014年の内閣人事局の設置によって、首相が中央官僚の幹部クラスの人事権を掌握したことに加え、内閣府機能が大幅に強化されたことで、首相への権力の一極集中はほぼ現在の形となった。

 一連の改革によって、霞ヶ関の官僚機構が、従来の省益中心ではなく、その時々の政権の意向に沿った形で行政を執行していくようになることは、最初から意図されたものだった。その意味で、霞ヶ関の特に幹部クラスの政治性が強くなることは、当初から折り込み済だったはずだ。しかし、官僚が政権の意向に沿う形で行政を執行していくことと、政権にとって不都合な事実を隠蔽したり、ルールを歪めたり、政権のために嘘をついたり、公文書を破棄したり改竄したりするのはまったく別次元の問題だ。前者はポリティカル・アポインティー制度を導入した結果のある意味で当然の帰結としての官僚のポリティサイゼーション(政治化)だが、後者は単なる劣化に過ぎない。なぜ良かれと思って進めてきた改革の結果、政府のパフォーマンスが向上するどころか、官僚は劣化し、政府のやることが、ことごとく的外れになったり、後手後手に回ってしまうことになったのだろうか。

 行政学が専門の牧原出・東京大学先端科学技術研究センター教授は現行の日本の政と官の関係を定義付けている政治・行政制度をめぐる諸改革は、橋本龍太郎首相や小泉純一郎首相が在任時に、「彼らのような強いリーダーがいることを前提」に策定されたものが多いことを指摘する。強い政治のリーダーシップがあれば、官邸への一極集中は迅速な意思決定などの利点が前面に出てきやすい。しかし、首相にリーダーの資質が欠けた場合は、権力集中がかえって徒となり、悲惨な結果を生みかねない。

 幹部官僚の人事を掌握したことで、首相は自分のお眼鏡に適う官僚を各省から内閣府や官邸に引っ張ってきて、自分の意に沿う形で手足として使うことで、自らが掲げる理念や政策を実現しやすくはなった。しかし、資質に欠けた首相が推進する軽佻浮薄な理念や政策では、超エリートが居並ぶ各省庁の次官以下の中枢は言うことを聞かない。その結果、首相は、役所の中枢から外れた、必ずしも能力が高くはないが政権の命令には忠実に従うようなヒラメタイプの官僚を官邸内のポストや内閣府に登用する場合が多くなる。そうして一本釣りされ、脇道から表舞台に引き上げてもらった官僚は、一度は外れた出世街道に復帰することが可能になるとあれば、如何に官邸からの指示が理不尽で馬鹿げたものであっても、それを愚直に遂行することになる。

 つまり、昨今、われわれが目撃している霞ヶ関官僚の劣化というのは、必ずしも霞ヶ関そのものが劣化したことの反映ではなく、時々の政権がそのような官僚に権限を与え、そのような行動を取らせている結果だというのだ。そしてその最大の責任は政治、とりわけ官邸への一極集中によって絶大な権力を手中に収めている首相にあるというのが、牧原氏の見立てなのだ。

 言うまでもないことだが、そのような政治家を選んでいるのは有権者である国民だ。われわれは官僚を選ぶことはできないが、政治家を選ぶことはできる。われわれは高級官僚の不可解な国会答弁を揶揄したり個々人の出自を興味本位で追いかけるばかりではなく、実は彼らは政権を守るために不本意ながらあのような意味不明な答弁を繰り返させられているという側面にも目を向けなければならないのではないか。

 今週は行政学が専門の牧原氏と、昨今の官僚の劣化の背後にある政治と行政の機能不全の実態とその原因、そしてわれわれはその現状をどう受け止めるべきか、その問題の解決のためにわれわれには何ができるのかなどを、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

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