格差社会を生き抜くために知っておくべきこと
東京大学大学院教育学研究科准教授
ジャーナリスト
1964年徳島県生まれ。94年東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。博士(教育学)。日本労働研究機構研究員、東京大学社会科学研究所助教授などを経て、2008年より現職。著書に『「日本」ってどんな国?―国際比較データで社会が見えてくる』、『教育は何を評価してきたのか』など。
新年を迎えるにあたり、誰もが今年こそは明るく前向きな方向を目指していきたいと思うところだろう。これは日本に限ったことではないが、昨年は長引くコロナ禍に加え、ウクライナ戦争、そして安倍元首相の暗殺事件などの暗いニュースが多かった。そのような状況では、目の前の問題に対応するだけで手一杯で、われわれの社会が抱える大きな問題に取り組む余裕などなかなかなかったというのが実情ではないだろうか。
しかし、そう言いながら日本は、四半世紀もの時間を浪費してしまった。まだコロナ禍も予断を許さない状況ではあるが、今年こそは、溜まりに溜まった宿題に一つずつ取り組んでいく一年にしたいではないか。
さて、状況を改善する際に大前提となるのが、何を措いてもまずは現状を正確に把握することだ。社会全体が不都合な真実から目を背けるのが当たり前となり、メディアの機能不全も手伝って、われわれは日本が今どのような状況に陥っているかについて正しい認識を持つことが難しくなっている。そうした中で、東京大学大学院教授で教育社会学者の本田由紀氏が2021年に著した『「日本」ってどんな国?――国際比較データで社会が見えてくる』は、日本の様々な社会指標をOECD加盟国など世界の他の国々と国際比較しており、日本の現在地を再確認する上で理想的な手引きとなる。
しかし、そこで紹介されている諸データは日本がまさに絶望的な状況に置かれている状況を露わにする。日本が世界でも断トツで少子高齢化が進んでいる国であることが指摘されて久しいが、依然として出生率が伸びないためにその度合いは年々深刻の度合いを増し、15歳未満の若者人口率はOECD加盟国中最下位なのに対し、65歳以上の高齢人口率は断トツの1位だ。伸びない出生率は子育てや教育に対する公的支援の貧弱さと同時に、将来に希望が持てない社会の現実をわれわれに突きつけてくる。
ますます厳しさを増す人口構成の下で、日本は家庭生活への満足度、親に対する尊敬度、男女間の賃金格差、国会議員や企業幹部の女性比率、正規と非正規の賃金格差、企業の競争力ランキング、時間労働当たりのGDP、国政選挙の投票率、国会議員の平均年齢、政府に対する信頼度などの分野で、いずれも先進国中最下位ないしは最下位グループにいる。25年程前まで日本はこれらの多くの指標で世界のトップグループにいたこと考えると、「失われた25年」によってどれだけ日本の社会が傷んできたかがよくわかる。もはや今日の日本があらゆる社会指標で先進国としては最下位のグループに属し、一部の分野では途上国にも抜かれているのが現状なのだ。
社会が下降線を辿る中、日本では貧困化が進み(相対的貧困率35か国中31位)、他者を助けることに関心がある人(125位)も世界で最低水準にとどまってしまうのは当然のことかもしれない。
問題に手当をするためにはまず、現実を知ることが必要だが、同時に、日本がなぜそのような状態になってしまったのか、その原因やその背景、構造などを把握する必要がある。本田氏はその一助となるモデルとして、「戦後日本型循環モデル」を提示した上で、それに代わる「新たな循環モデル」構築の必要性を訴える。
本田氏の「戦後日本型循環モデル」とは、企業と家族と教育が相互にニーズを満たし合うことで、政府の公的支援を受けずに社会が自動的に回っていくような仕組みのことだ。このモデル自体も家庭内での母親の無償奉仕や父親の社畜化を前提としていたり、子どもの詰め込み受験勉強から来るプレッシャーやストレスが無視されるなど、実際には多くの矛盾や歪みを孕んではいたが、1965年以降の高度成長期からバブル崩壊までは、このモデルが比較的上手く機能してきた。そのため政府が本来行わなければならないセーフティネットの整備や家族や教育に対する公的支援をサボることが許されてきたと本田氏は指摘する。
しかし、冷戦の終結や人口構成の変化など、このモデルが機能する前提となる外部環境が大きく変わり、何よりも大前提となっていた経済成長が止まったことで、もはやこのモデルは完全に破綻してしまった。しかし、これまで社会を回すための手段だったはずのこのモデルが一時期あまりにもうまく機能していた(少なくとも一部でそう受け止められていた)ために、今日そのモデルの維持が自己目的化してしまい、元々それが内包していた矛盾や歪みも手伝って、むしろこのモデルの残骸が日々、新たな問題を量産しているのが現状だ。
実際、日本では政府が長年このモデルに依存し、公共事業などで企業に公的資金を流し込みさえしていれば、後は企業が雇用と社会保障まで提供し、家庭では専業主婦の母親が家を守りつつ「教育ママ」よろしく子どもをしっかり進学させ、学校は毎年新しい労働力を企業に供給するという一見好ましい循環が繰り返されてきた。政府にとってはこの上もなく好都合なモデルだったわけだが、本来政府の役割である子育て支援や家庭関連支出や教育関連支出の分野で日本がOECD加盟国中最下位グループにいるのはそのためだった。
好ましい外部環境や運のよさも手伝って、これまで日本が、たまたまうまく機能した社会モデルに依存し、日本は本来先進国として当然やっておかなければならないことを25年あまりサボってきた以上、遅ればせながら今からでもそれを始めるしかない。しかし、政治家や霞ヶ関官僚、大企業で働くサラリーマンなど日本で「エリート」とされる人々は、依然として「戦後日本型循環モデル」を追い求めるマインドから抜け出ることができていない。もちろんその中にはメディアも含まれ、メディアの無能さと機能不全によって、一般の市民もその影響を受け、明らかに自分たちの利益にそぐわないシステムの維持に血眼になっている有様だ。そのため25年間、問題は何も解決されず、政府は相変わらずセーフティネットの整備や子育て支援や教育支援には後ろ向きなままだ。このままでは問題は益々大きくなり、日本の国際的地位の急落も続くだろう。
本田氏はわれわれが一刻も早く「戦後日本型循環モデル」がもはや破綻していることを受け止めた上で、それに代わる「新しい循環モデル」を作っていく以外に、問題を解決する方法はないと言う。その新しいモデルの特徴は、政府はセーフティネットとアクティベーションに責任を負うとともに、これまで一方向だった企業と家族と教育の関係を双方向化していくというものだ。
国際比較から日本は今どんな国なのかを改めて確認することを出発点に、なぜ日本がそのような状況に陥ってしまったのかを考えた上で、これから日本が模索すべき新しい社会のモデルとはどんなものなのかなどを、本田由紀氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。