政治がらみの疑獄事件の追及で名を馳せてきた特捜部が、ライブドアを電撃的捜査の標的に選んだことが、さまざまな憶測を呼んでいる。知名度こそ抜群だったとはいえ、所詮は新興の中小企業に過ぎないライブドアを、ある意味では形式犯罪とも言える粉飾決算や偽計取引の容疑で特捜が乗り出すことに対しては、違和感を覚える人が少なくないからだ。
政治家や暴力団の関与の可能性を取り沙汰する声がある一方で、「目標時価総額世界一」を公言するライブドアを行き過ぎた新自由主義シンボルと位置づけ、拝金主義的風潮への戒めに特捜が乗り出したなどとまことしやかに語る評者もいる。
しかし、かつて特捜検事としてロッキード事件を捜査した経験を持つ堀田氏は、今回の捜査に検察の恣意性はないとの見方を示す。特捜部内には汚職を専門に扱う特殊班とは別にもともと経済部があり、これまでにも今回と類似した事案を捜査対象としてきているという理由からだ。
それでは、特捜検察の暴走を懸念する声は杞憂に過ぎないのか。
取材に応じたジャーナリストの魚住昭氏は、今回の検察による強制捜査が世論の要請を受けたものではなかった点に警戒が必要だと警鐘を鳴らす。向かうところ敵無しの感が強い検察に、自ら政治的な判断を下すことを許すのは危険だというのだ。
確かに、刑事裁判の有罪率が99%と先進国で突出して高い日本では、検察による逮捕は有罪と同意語になっている。メディアは一斉に犯罪者扱いを始め、裁判も始まらないうちから既決囚と同じ矯正施設で厳しい環境の下に置かれる。逮捕と同時に事実上の服役が始まっている言っても過言ではない。
しかし、堀田氏はそのような制度も、検察の高い使命感や正義感に支えられ、全体としてはバランスの取れた制度になっていると主張する。
なぜ検察はライブドアを標的にしたのか。なぜ特捜でなければならなかったのか。検察に対するチェック機能はどこが果たすべきで、そのチェック機能は働いているのか。堀田氏とともに法文化の観点から検察のあり方を改めて考えた。