異次元緩和をわかっているけどやめられない日本の末路
帝京大学経済学部教授
1979年新潟県生まれ。2003年慶應義塾大学総合政策学部卒業。同年日本銀行入行。大阪支店、調査統計局などを経て18年退社。同年たくみ総合研究所を設立し代表に就任。
厚生労働省の毎月勤労統計の手抜き問題が泥沼の様相を呈する中で、他のあらゆる統計の大元として政府が発表している56の「基幹統計」と呼ばれる調査のうち、22の調査に何らかの問題があったことが明らかになり、突如として日本の統計のデタラメぶりが国内外に衝撃を与えている。基幹統計は日本が世銀、IMF、OECDなどの国際機関に報告しているGDPなどの諸統計にも影響を与えるため、日本がそうした国際機関に過った情報を提供していたことになる可能性もあり、まだまだ波紋は広がりそうだ。
われわれは中国を始めとする専制国家や発展途上国の経済統計には政府の意図が反映されている可能性があるので信用ができないという話をこれまでたびたび耳にしてきた。しかし、今回の件を見る限り、日本の統計もそう大差がなかったようだ。いや、むしろ日本の事態の方がより深刻かもしれない。非民主主義の国では多くの場合、独裁権力による確信犯的な統計操作が行われているが、それはある程度予想がつくものだ。しかし、今回の日本の統計不正は、官僚の杜撰さと保身、そして政治への忖度といった、語るに落ちた恥ずかしい諸原因の産物だった可能性がありそうなのだ。
日銀で調査・統計畑を歩み、統計に詳しいエコノミストの鈴木卓実氏は、日本の統計軽視の風潮は今に始まったことではないが、今回の事件はその鈴木氏をしても「ここまでひどかったのか」との思いを禁じ得ないほど、ひどいものだったという。
確かに日本の統計軽視は今に始まったことではない。日本政府の統計職員の数は国民一人あたりに換算するとカナダの10分の1、フランスの6分の1しかいない。小さな政府を標榜し、近年統計職員を大幅に削減してきたイギリスやアメリカでさえ、日本の3~4倍の統計職員がいる。むしろ、これまで日本の統計が信用されていたことの方が不思議だと思えるくらいだ。
鈴木氏によると、かつて日本では一般の市民が真面目に政府の統計調査に応じてくれていたので、それほどのマンパワーが必要なかったと言う。しかし、今日、その状況は変わっている。にもかかわらず、統計職員の数は少ないままで、「人手が足りないことは明らか」と鈴木氏は指摘するが、実は日本の場合もっと重大な問題がある。
元々少ない人数で回しきた日本の統計調査を担当する職員数が、今回、勤労統計の不正が始まった2000年代の前半から、急激に減っているのだ。鈴木氏が指摘するように、伝統的な共同体が存在し、主婦や祖父母が常に在宅する家庭が多く、しかもその多くが真面目に調査に協力してくれていた時代から、日本も欧米各国のように調査により多くのコストを要するような社会構造に変わってきている。にもかかわらず、日本は元々少ない統計職員の数を、更に減らし続けているのだ。
人数の多寡と並んで、中身の問題も指摘されている。2004年の小泉政権下で閣議決定された「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2004」は首相の私的諮問機関である経済財政諮問会議などが中心となってまとめた、いわゆる「骨太方針」を呼ばれるものだが、その中には行政改革の一環として、「農林水産統計などに偏った要員配置等を含めて、既存の統計を抜本的に見直す。一方、真に必要な分野を重点的に整備し、統計精度を充実させる」と書かれている。
後段の「充実させる」の部分は、今回の毎月勤労統計の実態を見る限りは、全く空理空論だったことになるが、むしろ問題は前段にある統計職員の配置を官邸主導で特定分野にシフトさせることが謳われている点だ。2009年から2018年の間の統計職員の省庁別の増減を見ると、この骨太で謳われている通り、農水関連の統計職員数が一気に4分の1以下に減らされたほか、厚労相、経産省、国交省、文科相などでも統計職員数が軒並み減らされているのに対し、内閣府と警察庁、総務省の統計職員数だけは増加に転じている。
これは現時点ではあくまで仮説の域を出ないが、一連の官邸への権限集中の流れの中で、各省庁からあがってきたデータを使って政治主導の政策立案をする機能や権限が官邸や内閣府に移される一方で、各省庁が長年続けてきた統計調査だけは、より少ない人数で継続しなければならない状態に追い込まれていた可能性がある。
しかし、こうした経緯から見えてくることは、明らかに日本が一貫して統計を軽視してきたことだ。統計はすべての政策判断の元になっている。また、民間においても事業計画や投資・採用計画に政府が発表する様々な基礎統計が大きな影響を与えてるいことは言うまでもない。原因が杜撰さであろうが、何らかの政治的な意図が含まれていたのであろうが、いずれにしても政府が発表する基礎データが信用できないということになれば、これまでの政府の政策判断が間違っていたものだった可能性すら出てきてしまうのだ。
伝統的に統計を軽視する日本は70余年前、国力を示す統計を見れば明らかに無謀とも言えるアメリカとの戦争に突入し、国全体が焼け野原になった。鈴木氏によると戦後、吉田茂の命を受け、マルクス経済学者の大内兵衛が現在の統計法の基礎を作ったそうだが、駐英大使を務めた吉田茂は、統計を通じて自国の国力を正確に把握しているイギリスの様を目の当たりにする中で、日本が先進国の仲間入りを果たすためには統計を充実させる必要性があることを強く感じたのは当然のことだった。しかし、残念ながら吉田のその思いは、今日まで引き継がれていなかったと言わざるを得ない。
なぜ日本は統計を重視できないのか。統計を軽視する国が滅びるのはなぜか。日本が政府統計への信頼を取り戻す方法はあるのか。日銀で統計を担ってきた鈴木氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。