この再審法改正で冤罪被害者は救えるのか
衆院議員
1972年神奈川県生まれ。95年関東学院大学法学部卒業。2002年関東学院大学法学研究科法律学専攻博士課程修了。博士(法学)。関東学院大学法学部非常勤講師、朝鮮大学校政治経済学部非常勤講師、熊本大学大学院法曹養成研究科准教授などを経て22年より現職。
1966年の逮捕から58年近くにわたり、被告人、そして死刑囚として扱われてきた袴田巖さんに対し、2024年9月、静岡地方裁判所は再審で無罪判決を言い渡した。この判決を大きな契機として進められてきた再審法改正をめぐる国会審議が、会期末を前に山場に差しかかっている。
確定判決に重大な誤りがあり、新たな証拠などによって有罪認定に合理的な疑いが生じた場合に、裁判をやり直すのが再審制度だ。しかし、日本では再審開始までのハードルが極めて高く、手続きに関する規定も十分に整備されていない。このため、冤罪被害者やその支援者、弁護士らが長年にわたり法改正を求めてきたが、再審制度を所管する法務省は抜本的な改正に慎重な姿勢を取り続けてきた。
しかし、袴田事件や福井女子中学生殺人事件では再審無罪判決が言い渡された。さらに、日野町事件では、服役中に死亡した阪原弘さんについて再審開始決定が確定した。こうした動きを受けて、ようやく政治が本格的に動き始め、諸外国と比べても救済のハードルが高いと指摘される日本の再審制度が改められることへの期待が高まっていた。
ところが、法改正をめぐる舞台裏には、報道で注目されている「再審開始決定に対する検察官の不服申立て」や「証拠開示」といった個別論点だけでは捉えきれない、より根深い問題が横たわっていた。
刑法・刑事司法を専門とする熊本大学大学院の岡本洋一准教授は、なぜ超党派の議員連盟がまとめた議員立法案が成立に至らず、最終的に法務省が事務局を担う法制審議会を経た政府案が法改正の中心となったのか。その背景には、日本の刑事司法制度と検察組織が抱える構造的な問題があると指摘する。
岡本氏は当初、国会議員の過半数が参加した超党派の議員連盟による議員立法に、大きな期待を寄せていたという。議連がまとめた法案は、再審請求審における証拠開示を制度化するとともに、裁判所が再審開始を決定した場合には検察官による不服申立てを認めないことなどを柱としていた。現在、再審制度の核心的な問題とされている論点について、冤罪被害者の迅速な救済と請求人の権利保障に大きく踏み込んだ内容だった。
しかし、自民党が最終的に議連案の共同提出に加わらなかったことで、超党派による法案成立への道は事実上閉ざされた。自民党は超党派の議連案から抜けて、再審法の改正案を法務大臣の諮問機関である法制審議会に諮問することを選択した。
なぜ自民党は、自党議員が中心的な役割を果たしてきた議員立法案への参加を見送ったのか。岡本氏は、その背景には、戦後長年にわたって形成されてきた政治と検察との「暗黙の均衡」があるとみる。
検察は、政治家を捜査したり起訴することができる、強大な権限を持つ。一方、政治の側も、制度上は人事や予算、法制度の整備を通じて検察組織の運営に影響を及ぼし得る立場にある。
しかし、現実には、政治と検察が互いの領域に深く踏み込むことを避けるという暗黙の了解が、長年の慣行として形成されてきたのではないかと岡本氏は分析する。その結果、検察権の在り方に直接関わる制度改革について、政治が主導権を行使することが難しくなっているというのだ。
法務省と検察庁の特殊な関係も、検察制度に対する政治的統制を難しくしている。検察庁は法務省の中の「特別の機関」と位置づけられており、法務大臣は検察官を一般的に指揮監督する権限を持つ。しかし、実際の人事慣行を見ると、法務省刑事局長、官房長、法務事務次官などの中枢ポストの多くを検察官出身者が占め、こと刑事司法については、検察が法務省を事実上支配する力関係が続いてきた。
他省庁では官僚組織の頂点とされる事務次官も、法務・検察の人事慣行の中では、検事総長や次長検事、東京・大阪など主要高等検察庁の検事長へと至るキャリアの途中に位置づけられる。法務事務次官経験者が、その後、検事長や検事総長に就任する例もある。この意味で、形式上は法務省の下に置かれている検察庁が、実質的な人事秩序では法務省本省に対して強い影響力を持つという、他省庁には見られにくい構造が存在する。
その結果、日本の刑事司法制度の企画・立案には、現に検察実務を担ってきた検察官が深く関与することになる。制度を設計する側と、その制度を運用する側が人的・組織的に重なっていることが、検察の権限や従来の実務を見直す改革を困難にしていると岡本氏は指摘する。
岡本氏は、法制審議会の委員構成や運営方法にも問題があると指摘する。法制審議会は本来、多様な立場から法制度の在り方を検討するための場のはずだ。しかし、実際には、事務局を担う法務省が論点の設定、資料の作成、委員の人選などを通じて、議論の方向性に大きな影響を及ぼす。
今回の法制審議会も、袴田事件をはじめとする冤罪事件を契機として設置されたにもかかわらず、冤罪被害者や再審弁護の実務に携わる側の意見が十分に反映されたとは言い難い。そのため、再審が長期化する原因や、誤判を生み出してきた刑事司法制度の構造そのものを根本から問い直す議論には至らなかった。
こうした権力構造の下で、日本の検察組織には、自らの捜査や公判活動の誤りを容易には認めない体質が形成されてきたのではないか。岡本氏は、現場の検察官の多くが強い使命感を持って職務に当たっていることを評価する一方、法務省の中枢で制度設計を担う検察官については、組織の権限や従来の実務を維持しようとする「組織防衛の論理」が働きやすい構造に置かれていると語る。
しかも、法務省の中枢や検察組織、さらには法曹界や刑事法学界の一部には、個別の事件で問題が生じることはあっても、日本の刑事司法制度は全体としておおむね正常に機能しているという認識が根強く存在すると岡本氏は指摘する。その認識に立つ限り、袴田事件や福井事件などは制度そのものの欠陥を示すものではなく、あくまで例外的な失敗として処理される。そのため、再審制度を抜本的に見直すという発想そのものが生まれにくい。
しかし、刑事司法が本来依拠すべきなのは、「十人の真犯人を逃すとも、一人の無辜を罰するな」という原則であるはずだ。多数の有罪者を処罰する過程で、一定数の無実の人が処罰されることをやむを得ないと考えるのであれば、それは「疑わしきは被告人の利益に」という原則や、推定無罪の理念を根底から揺るがすことになる。
袴田事件の再審無罪判決は、単に過去の一事件の誤りを正しただけではない。捜査機関が作成・収集した証拠を同じ捜査機関が管理し、再審請求人にどの証拠を開示するかを事実上判断する現在の仕組みや、一度獲得した有罪判決を組織として守ろうとする検察の姿勢そのものを問い直すものだった。
法務省の英語名は「Ministry of Justice」だ。岡本氏は、法務省と検察が本来追求すべきものは、従来の制度や組織の権限を守ることではなく、「Justice」、すなわち正義を実現することであるはずだと問いかける。
再審法改正を阻んでいるものは何か。法制審議会は本当に国民のための司法制度を設計する場になっているのか。そして政治は、検察との長年の関係を乗り越え、刑事司法に対する民主的統制を取り戻すことができるのか。刑事司法制度と検察官僚制の研究を続けてきた岡本洋一氏に、ジャーナリストの神保哲生が聞いた。