マイナンバーで最悪のシナリオを避けるために
中央大学総合政策学部准教授
1953年埼玉県生まれ。78年東北大学法学部卒業。88年弁護士登録。専門は情報問題。政府情報保全諮問会議メンバー、日弁連情報問題対策委員会委員、2項特別保存ワーキングチーム座長。共著に『「マイナンバー法」を問う』、『秘密保護法 何が問題か――検証と批判』など。
改正マイナンバー法が昨日6月2日、自公と維新、国民の賛成多数で参院で可決、成立した。立憲、共産、れいわが採決自体に反対する中での成立だった。
法案の成立を待たずに政府は2024年秋までに現行の健康保険証を廃止し、マイナンバーカードに一本化する方針を打ち出していたが、今回の法改正により、国会審議を経ずに省令のみによってマイナンバーカードに新たな個人情報を紐付けることが可能になる。現在進行形で進む健康保険証との一体化と合わせて、今後マイナンバーカードに紐付けられる個人情報は大きく膨らむことが予想され、法律上は選択制であるはずのマイナンバーカードの事実上の義務化に、さらに拍車がかかることになりそうだ。
それにしても、今このタイミングでマイナンバーの機能を拡大する改正マイナンバー法を通すというのは、どういう了見なのだろうか。このタイミングというのは、マイナンバーカードをめぐるトラブルが全国で噴出しているまさにその最中に、という意味だ。これまで明らかになっているだけでも、マイナ保険証の医療情報の誤登録が7,312件、コンビニでの証明書の誤発行が16件、公金受取口座の誤登録が21件と、医療情報や口座など特に取扱いに注意すべき個人情報の漏洩が相次いで起こっている。他人に自分の戸籍や住民票を見られてしまうのも大きな問題だが、とりわけ保険証の誤登録によって医療機関で保険への加入が確認できなければ、その患者は全額自費負担となるなど、影響は深刻だ。
法案に反対した立憲民主党の杉尾秀哉参院議員は、一連のトラブルはマイナンバーカードの構造的な問題を反映しているものであり、保険証との一体化は中止すべきだとマイナンバーカードを管轄するデジタル庁の河野太郎デジタル担当相に質したが、河野氏はここまで明らかになったトラブルはあくまで人為的なミスによるもので、マイナンバー制度そのものの問題ではないとして、杉尾氏の批判を一蹴している。しかし、本当にそうだろうか。
ここでいう「構造的な問題」というのは必ずしも技術的な問題だけを指しているわけではない。2013年のマイナンバー法制定時からこの問題に関わってきた弁護士の清水勉氏は、マイナ保険証には根本的な問題があり、それを放置したまま制度化をごり押ししても、必ず失敗すると語る。その理由はこうだ。
言うまでもなくマンナンバーカードを持つか持たないかは任意、つまり個々人の自由となっている。しかし、住基ネットで失敗した苦い経験を持つ政府は、今度ばかりはメンツにかけてもマイナンバーカードの普及を進めたい。そこで、マイナポイントだの補助金だのとあの手この手を使って国民にマイナンバーカードを無理矢理取得させようとしてきた。そして、ついに健康保険証と一体化させ、来年秋には現行の健康保険証自体を廃止するという強行策にまで手を染めてしまった。あくまで申請主義に基づいて発行されるマイナンバーカードが、国民皆保険という国家的制度と一体化することで、今後様々な矛盾やトラブルが発生することは避けられそうにない。
清水氏は、マイナンバーカードを持つか持たないかは個々人の自由意思に基づくことなので、クレジットカードと同じように、持つか持たないかを自由に選択できるようにしておかなければならないという。自分にとってメリットがあると思う人は持てばいいし、それほどメリットはない、あるいはデメリットが大きいと思う人は持たなければいい。また、一度は持ったとして、持つのをやめるという選択肢を与えられている必要がある。クレジットカードならそうだ。
銀行口座のみならず、戸籍や医療情報までも紐付いているマイナンバーカードを持つリスクが大きいと考える人には、持たないという選択肢が用意されていなければならない。しかし、健康保険証と一体化した上で、保険証の方は来年には廃止されるということになれば、多くの人にとってはマイナンバーカードを持つことは是も非もないものとなる。つまり、メリットがあると思う人が自由意思に基づいて持つのではなく、持たないことによって大きなデメリットが生じるような制度にすることによって、仕方なく持たざるを得なくなる人が大量に出るということになる。このような制度設計は根本的に間違っていると清水氏は言う。
無理を通せば道理は引っ込む。既にマイナ保険証を事実上強制することに対して、医療現場や介護現場などから強い反対の声が上がっている。そもそも国民にとっても医療機関側にとっても、保険証をマイナンバーカードに一体化することのメリットはない。それどころか、マイナ保険証は保険組合の方から郵送されてくる現行の保険証とは異なり、本人が役所の窓口で申請しなければならないため、申請漏れや申請遅れによって無保険者扱いされる人が急増するおそれがある。また、介護施設や高齢者施設の入所者の多くは、これまで施設に保険証を預けていた実態があるが、銀行口座や戸籍とも紐付いたマイナンバーカードを代理人に預けるわけにはいかなくなるという問題も指摘されている。
医療DX(デジタル化)の推進は重要だ。それはそれで是非進めるべきだ。しかし、それが銀行口座や戸籍とも紐付いているマイナンバーカードに一体化されなければならない理由はどこにも見当たらない。既存の保険証をデジタル化すればいいだけのことだ。結局、本来一体化することに合理性がないものを無理やり一体化するから、政府の真の動機は国民の利便性を向上させることではなく、マイナンバーカードを強制的に普及させるためだと思われるのは当然のことだ。
マイナンバーカードを普及させるために政府は既にマイナポイントなどで2兆円以上の予算を費やしてしまっている。それでもマイナンバーカードがなかなか普及しなかったのは、そもそも国民の多くが政府を信用していないからだ。政府を信用していなければ、政府がどれだけメリットを強調しても、マイナンバーという共通番号の下に自身の個人情報を次々と紐付けされ、それを政府に握られることに抵抗を感じるのは当然のことだ。
世界の多くの国が共通番号を導入しようとして失敗しているのも同じ理由だ。その一方で、スウェーデンなどの北欧諸国では共通番号制度が普及している。しかし、それらの国々では国民の政府に対する信頼度も、情報公開を始めとする政府の透明性も、市民が政治に参加するチャンネルの多様さも、どれをとっても日本とは比べものにならないほど高い。政府がどれだけDXの旗を振り利便性を強調しても、国民の政府に対する信用がなければ、共通番号制度などまともに機能しないのだ。今回、政府がマイナンバーカードを健康保険証と結びつけることで、事実上カードの保有を強制したことによって、カードの普及自体は進むかもしれないが、そのようなやり方は政府に対する信頼度を益々低下させることになるだろう。
なぜ日本のマイナンバー制度はうまくいかないのか。保険証との一体化はどこに問題があるのか。今回の政府による強行策はどのような結果をもたらすことになるのか。清水弁護士とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。