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大和総研主任研究員
1930年東京都生まれ。57年九州大学経済学部卒業。62年富山大学経営短期大学部講師、69年法政大学経営学部助教授、同教授などを経て99年より現職。法政大学名誉教授。経済学博士。著書に『世界自動車産業の興亡』、『グローバル自動車産業経営史』など。
自動車文明発祥の地であるアメリカで、大手自動車メーカーの「ビッグ3」が深刻な経営危機に陥っている。日本でも自動車メーカーが軒並み減産に踏み切るなど、自動車産業の凋落を伝えるニュースが後を絶たない。その一方で自動車産業は、エコカーの開発など、時代の先端産業としての顔を、今なお持ち続けてもいる。「自動車の世紀」と言われた20世紀を経て、今、自動車文明はどこに向かっているのだろうか。
自動車産業史研究の第一人者で、世界の自動車産業の興亡を長期にわたって分析してきた東海学園大学の下川浩一教授(法政大学名誉教授)は、大量生産・大量消費に支えられた自動車文明はもはや限界を迎え、20世紀を通じて成長してきた自動車文明は、今大きな岐路に差し掛かっていると話す。冷戦後、西側先進国の主要自動車産業は、グローバル化の波に乗って、世界中に市場を拡大していった。しかし、それが今、一転して危機に瀕しているのは、自動車文明自体が終焉を迎えているからだというのだ。
1920年代のT型フォードに始まった自動車文明は、20世紀文字通り時代の担い手だった。先進国では高速道路や橋など自動車中心のインフラ整備が進み、僅か1世紀の間に自動車産業は経済界の新参者から基幹産業にまで成長した。
しかし、飛ぶ鳥を落とす勢いだった自動車文明に最初に翳りが見えたのは、公害が深刻な社会問題となった1970年代だった。また、70年代はオイルショックも自動車産業の未来に影を落とした。自動車を中心に社会を構築することが経済繁栄につながるという短絡的な考え方に対し、東京大学の宇沢弘文教授は『自動車の社会的費用』(1974年)で、道路建設など自動車が発生させる社会的コストがいかに大きいかを指摘しているし、ケンブリッジ大学のエンマ・ロスチャイルド教授は、このままでは自動車産業は今世紀中に終わるとまで予言していたと、下川氏は話す。
オイルショックと公害の70年代、日本車が燃費効率や排ガス規制技術で大きく競争力をつけたのに対し、アメリカの自動車産業は法規制ぎりぎりの対応で乗り切ることしかできず、日本車に大きく市場シェアを奪われる。また、その一方で、ビッグ3は、次第に本業の自動車製造から金融への依存体質を強めていく。更に、90年代以降アメリカがITバブルや住宅バブルの好況に沸く中で、ビッグ3は燃費効率を無視した大型車を次々と投入していった。
そして、21世紀に入り、それらが全て裏目に出る。地球温暖化が人類共通の問題として浮上し、原油価格の高騰とも相まって、燃費問題は世界中の消費者の最優先課題となる。しかも、それに金融危機が追い打ちをかけると、燃費効率で日本車の後塵を拝し、金融で儲ける体質にどっぷり漬かっていたビッグ3が、一気に苦境に追い込まれるのは当然の成り行きだった。
しかし、今アメリカ自動車産業が直面する苦境は、決してビッグ3固有の問題ではない。今後、エネルギーを含めて資源の使用はこれまで以上に制約されることは明らかだ。資源を大量に消費し、高速道路などコストのかかる社会インフラを必要とする現在の自動車産業のままでは、早晩行き詰ることが避けられないと下川氏は言う。
自動車の利便性は私たちの暮らしを大きく変えた。車を保有することは一つの社会的ステータスであり、自動車は多くの人にとって豊かさのシンボルでもあった。また、自動車関連産業は全就業人口の約8%を雇用するなど、重要な基幹産業であることも間違いない。
しかし、ガソリンを消費し排気ガスを出すという高い環境負荷、インターネット等の普及で実際に移動しなくても濃密なコミュニケーションが可能になったことなど、自動車を取り巻く環境は大きく変化し、それに呼応して自動車産業も大きな変革を迫られている。
21世紀の自動車産業はどのようなものになっていくのか。自動車という文明の利器は生き残れるのか。自動車文明論の大家である下川氏とともに、「自動車の世紀」を振り返り、現在自動車が直面している問題と、自動車社会の次に来る社会がどのようなものになるかについて議論した。