参院選で示された民意は正しく理解されているか
慶應義塾大学名誉教授
1954年東京都生まれ。77年慶応義塾大学法学部卒業。82年同大学大学院法学研究科博士課程修了。法学博士。ミシガン大学客員助教授、プリンストン大学国際問題研究所客員研究員、慶応義塾大学助教授などを経て、91年より現職。著書に『政権交代 民主党政権とは何であったのか』、『選挙・投票行動』など。
この選挙で日本の有権者が選んだものは、ただの「現状維持」だったのか。
参議院選挙は与党勝利で幕を閉じた。自民党は6議席を上積みし、追加公認などを加えると参院で121人の単独過半数を得ることとなった。自民党が参議院で単独過半数を得るのは、消費税導入直後の1989年に宇野政権下の参院選で過半数割れして以来、27年ぶりのこととなる。公明党も5議席上乗せし、おおさか維新の会などのいわゆる改憲勢力としては戦後初めて、衆参両院で憲法改正の発議に必要な全議席の3分の2を超える結果となった。
一方の野党陣営は、一人区での統一候補擁立が功を奏し、全体としては善戦したが、最大野党の民進党が前回選挙から14議席減らして、更に勢力を縮小させたことで、与野党の力の差は更に拡がる結果となった。
与党、とりわけ自民党の勝因について、2000人を超える有権者を独自に世論調査した政治学者の小林良彰・慶應義塾大学教授によると、圧倒的に多くの有権者が景気対策や年金、社会保障問題などの経済問題を優先課題にあげていたという。
野党が与党の攻撃材料として強く前面に押し出してきた安保法制や憲法改正の問題は、関心がないわけではないが、日々の生活の苦しさや将来不安の方が有権者にとっては遥かに優先課題だったことがうかがえる。
その点、経済政策については、自民党は野党の訴える政策を巧みに取り入れ、経済政策で差別化を図ろうとする野党の戦略を無力化することに成功した。結果的に有権者からは、優先課題の経済政策で自民党と野党の政策の区別がつきにくくなり、「ならばよりリスクの小さい与党に」という結果になったと見られると小林氏は言う。
自民党がメディア報道にもあれこれ注文を付けたり、選挙期間中に党首討論や記者会見を避けたことも、争点隠しの成功に貢献したとみられる。
しかし、中身のある政策論議まで行き着かなかった最大の責任は野党、とりわけ民進党にあると小林氏は指摘する。各党ともあれこれ公約や政策を打ち出してはいるが、有権者の関心とはずれていた。また、選挙公約にいい言葉が並んでいても、財源の裏付けがないものが多いなど、有権者が現実に期待できる政策を提案できていた政党は皆無だった。それでは「アベノミクス」という強力なキーワードに対抗することはできない。
民進党の岡田代表は記者会見で、今回、議席は減らしたものの、3年前の参院選よりも民進党に対する支持が回復してきたとして、これを党勢回復のきっかけにしたいと、やや楽観的な抱負を語っていた。しかし、民進党の比例区の当選者はほぼ労働組合関係者に独占されているほか、比例区の得票数で自民党が大幅に得票を伸ばす一方で、民進党はその半分程度にとどまるなど、依然として民進党に対する不信感が根強いことも浮き彫りになった。
小林氏は民主党の政策を見ても、自民党と大きな差異が見つけられないところに敗因があったと指摘する。安倍政権が民進党の政策を真似したなどと文句を言っているが、それは民進党の政策が自民党と大差がないものだったことの証左でもあった。与党がとても真似できないような強いアピールを持った政策を打ち出せなければ、本当の意味での野党への支持は回復しないだろう。
結果的にこの選挙によって自民党は参院でも単独過半数を獲得し、改憲勢力も両院の3分の2を超えた。選挙後の記者会見で安倍首相はアベノミクスの継続が信任を得たとして、今後アベノミクスを加速させていくことを宣言し、手始めに年内にも実施される予定の大型の経済対策の検討に入ったという。政府内では10兆円規模の補正予算が取りざたされているという。ここ当分の間、日本は金融緩和の継続と公共事業の拡大を両輪として、経済を回していくことになりそうだ。
また、安倍首相は憲法改正についても、憲法審査会での議論を前進させていくことに強い意欲を見せている。どうも安倍首相は、選挙で勝った以上、安倍政権の政策が全面的に国民の信任を得たと受け止めているようにも見える。
しかし、小林氏は選挙の勝利が白紙委任を意味するわけではないと、警鐘を鳴らす。安倍首相がそれを見誤れば、リスク回避目的で今のところ自民党に集まっている消極的な支持が、一気に雲散霧消する可能性もある。また、同じく有権者側も白紙委任状を渡したわけではないことを認識し、引き続き辛抱強く政治を監視していく姿勢が求められる。
与党が圧勝し、野党陣営でも組織選挙が目立った参院選だったが、新しい政治参加の形が見えてきた選挙でもあった。上智大学の三浦まり教授によると、この選挙ではこれまで政治に積極的に参加してこなかった市民層の多くが、独自に政治との回路を開拓していたと指摘する。利益団体だけでなく、こうした一般市民層の政治参加が進み、とりわけ野党がその勢力との合流に成功すれば、政治に健全な競争が生まれ、政治に緊張感が戻ることが期待されるところだ。
今回の参院選でわれわれが選択したものは何だったのか。与党に勝利をもたらした有権者の投票行動は、われわれのどのような政治的意思を反映したのか。また、野党には何が欠けていたのか。今回の選挙における有権者の行動分析や各党の政策と選挙結果などを参照しながら、ゲストの小林良彰氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。