1947年京都府生まれ。69年京都大学法学部卒業。同年外務省入省。72年オックスフォード大学哲学・政治・経済学修士課程(P.P.E.)修了。北米二課長、経済局長、アジア大洋州局長、外務審議官などを経て2005年退官。10年より現職。著書に『日本外交の挑戦』、『見えない戦争 インビジブルウォー』など。
ニューヨークに行ったことはなくても、きっと一度は見たことのあるあの見慣れた摩天楼の風景の中でも、ひときわ高くそびえる2棟のビルから濛々と煙が立ちこめるあのシーンを、きっとわれわれは生涯忘れることがないだろう。
2001年9月11日、午前8時46分(日本時間午後9時46分)、マンハッタン島の南端にあるワールドトレードセンター北棟の95階付近にボストンを発ったアメリカン航空11便(ボーイング767)がまさかの突入。その17分後には南棟80階付近にユナイテッド175便(ボーイング767)が突入し、これが事故ではなかったことが明らかとなる。そして9時59分にはサウスタワーが、10時28分にはノースタワーが相次いで崩壊する。
建国以来、自国が他国からの攻撃を受けた経験が日本による真珠湾攻撃の一度しかなかったアメリカにとって、アルカイダという国家でさえないいちテロリストグループによって、ニューヨークのしかも自国の繁栄の象徴と言っても過言ではないワールドトレードセンターを攻撃され倒されるという、歴史的な衝撃と屈辱を味わった瞬間だった。
アルカイダは他にも2機の航空機をハイジャックし、一機はワシントンのペンタゴンに突入していた。
あの時から明らかに世界は変わった。
しかし、直後からアメリカの報復が始まり、アフガニスタンへの長期の駐留とイラク戦争へとエスカレートしていった結果、世界はその後、しばらくの間アメリカの「テロとの戦い」に付き合わされることになり、その後の世界で何がどう変わったのかを見極めることが容易ではなくなってしまった。
この8月、バイデン政権は懸案だったアフガニスタンからの完全撤退を決断した結果、8兆ドル(約800兆円)と多大な人命を投じた20年に及ぶアフガン駐留は、アメリカの侵攻前に国を統治していたタリバンの復権という形で終結した。
この20年、アメリカが「テロとの戦い」で深みに嵌まる中、国際社会におけるアメリカの威信は大きく傷つき、2016年のトランプ政権の誕生でそれは決定的なものとなった。この20年はまさにパックス・アメリカーナの終焉を見せつけられた20年だったと言っても過言ではないかもしれない。アメリカ一辺倒の外交を展開してきた日本の国際的な地位も大きく低下した。
その一方で、中国の国力が増強したことで、国際社会における影響力を強めている。また、中国の南シナ海における勢力の拡大や、ロシアによるクリミアの併合など、力による現状変更が行われても、もはやアメリカ一国ではこれを正すことができなくなっている。国際社会は20年前より不安定化してしまったようだ。
かつて外交官として北朝鮮との秘密交渉の最前線に立ち、現在シンクタンク、日本総合研究所国際戦略研究所の理事長として国内外の問題に対する発信を続けている田中均氏は、世界各国で国内の民主主義が劣化し、ポピュリズムが台頭した結果、同じような現象が国際政治の舞台でも起きていると指摘し、国際社会の現状に警鐘を鳴らす。
また日本では首相への権力の集中が行われる一方で、権力をチェックする機能が働いていないが、此度の自民党の総裁選の候補者たちの主張を見ても、その問題に対する危機感が感じられないと語る。結局、日本はアメリカとうまくやってさえいれば、とりあえず回っているかのような幻想があるが、それは大きな間違いだと田中氏は言う。
20年前の9.11を境に世界はどう変わったのか、日本は正しい選択ができているのか、日本には他にどのような選択肢があるのかなどについて、田中氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。